2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

モリダク

いよいよ来週半ばから牛丼・めしの値下げ合戦だなぁと、只今は食べようという気はないものの、街場に出かけることがあれば各お店を覗いてみようかと思っていたら、森永卓郎さん(モリタクさんと謂われるらしい)がヨシギューだけは値下げしないでと仰言って…

馬鈴?暑?

麓の話によれば長雨のせいで、おジャガの葉が溶けているため、早めに収獲しているそうである。だから、小玉(粒)である。笊の直径は20センチほどであるから、その小さな成りを想像していただけると思う。[小(お)ジャガ] ゆでて、粟国(あぐに)の塩で…

エッグ・プランツ

山の麓からナスはじめ野菜が届いた。ズッキーニ、ミニトマト、ピーマン、ナンバン・・・、以前届いたローリエも混ぜてカリーをこしらえている。ただ、辛ければ良いということでもない、と、30年も前にタイランドの方に教わった方法を用いている。出汁(S…

マー欠ット

日用的にお世話になっている魚屋さんが35年の節目を迎える。来週半ばで閉じる。わたくしは5年ほどの通いであり、ふだんは「(お勘定)お願いします」「○○円です」という会話以外では、お互いの顔を今日も見合えたねという確認程度のお付き合いでしかない…

上田香る記

ところどころ携帯写真を撮った。折角なので、留めておきたい。 常田毘沙門堂阯〜活文禅師(鳳山竹庵)が開いた私塾「先賢問道處」の画像もあった。まだ、花がある頃のこと。上田城跡では「千本桜まつり」が4月5〜25日までで、もう花は散り際であったが、…

ADEU〜UEDA

鴎外は明治23(1890)年に上田を訪れている。再訪なのか、度々なのかは分からない。すでにこの年『舞姫』を世に送っている。そして、やはり?うえむら?に逗留している。北游日乗では植村と記しているが、「みちの記」には上村とある。鴎外が北国に向か…

時の天蓋

海野町商店街の通りを一筋南に入った付近を本町(あるいは上常田・下常田町)という。ただし、今は中央二丁目という素っ気のない表示となっている。志゛まん焼きを見付ける前にそこが気になった。旧北国街道の横町付近から岐れた小路で、映劇の文字が確認で…

志゛まん焼き(上田・海野町商店街)

海野町(うんのまち)商店街は北国街道の宿場町として栄えた。以下、海野町商店街のサイトを引用する。 《海野町の誕生は今から420年程前、戦国の武将真田幸村の父、昌幸が天正11年(1583)上田の地の千曲川支流の河畔、尼ヶ渕に城を築くに際し、先…

上田・七夕

東の人は気が逸(はや)いから、もう七夕やお盆の準備をされている。日本三大・・・はアテにならないけれど、間違いなく関東一の七夕は平塚であろう。他に阿佐ヶ谷や千葉・茂原などが有名らしいが、要するに歳末と並ぶ商店街の大売出しの催事であるから、星…

北国(ほっこく)街道

宿(駅前)から市立博物館のある上田城跡までどう転んでも10数分の距離にある。しかし、翌朝(9時頃)わたくしはお城と逆の方向に歩き始め、そこへ着いたのはお午過ぎのことである。お得意の「迷った」わけでもない(一部そういう箇所もあったが)。ご城…