時の天蓋

 海野町商店街の通りを一筋南に入った付近を本町(あるいは上常田・下常田町)という。ただし、今は中央二丁目という素っ気のない表示となっている。志゛まん焼きを見付ける前にそこが気になった。旧北国街道の横町付近から岐れた小路で、映劇の文字が確認できる。現在は複数のスクリーンをもつシネコンが8割を占める中(一般社団法人日本映画製作者連盟のデータ)で失なわれつつある?老館?である。大正期に芝居小屋として始まったと、港町キネマ通りというサイトに紹介がある。もちろん補修はされていらっしゃるのであろうが、当時の容が建物全体を蓋っている。このあたりを本町商店街という。隣はパチンコ屋さん、その間を曲がると、ちょっとした社交街があり、映劇同様、街全体が時の天蓋とでもいうのであろうか、ここだけが無暗な発展という魔物から護られている。

[上田映劇]

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[パチンコ店] 

隣パチンコ画像0181

[天蓋の社交街]

社交街画像0182

 次は海野町通りの北側を志゛まん焼きをかじりながら進む。そのあたりを袋町という。本町より規模がやや大きそうな社交街があり、こちらは天蓋の一部が欠けていて、只今を象徴していそうである。呑ん兵衛というのは独特の嗅(醜)覚をもちあわせていて、昼でもこのような場所へ意識的に迷い込む。まさに、その瞬間に自分がゐる想いである。(画像なし)

 弁天様がゐらした。妙光寺にあり、真田ののちに入城した上田仙石家世継忠俊の正室、浅野本家光晟(みつあきら)の娘亀姫が安芸厳島(宮島)から抱いてきたという。(東信ジャーナルより)

[亀姫様の弁財天]

弁天様2画像0192 弁天様画像0191 弁天様3

 前の通りを弁天前通りといい、袋町の北側流れである。少し行けば蛭沢川があり、どこかで千曲川につながっているのであろう。

    タクシー代行車 
    お待ち合わせに。
    (弁天前・喫茶)
    NEW ビーナス
    TEL 27・・・
    あわの立つコーヒー
       軽食
     テレビゲーム
    72inchワイドテレビ

 入ってみたいとは思わないが、入ってみないと分からないという葛藤の中で、隣の駐車場のブロック塀の狭くごつごつとした台上で志゛まん焼きを包(くる)んでくれた小袋にメモだけしておいた。此処にも別の意味で時の天蓋を感じながら、川沿いに廃墟化した社交ビルの前でしばらく立ち竦んでいた。

[亀姫様がビーナスなのだろうか]

弁天前2画像0195 弁天前画像0194 ビーナスメモ

[素的]

社交廃墟画像0196

 原町(通り)に。(次続且終項)