多島美の朝美

 標題は二日目に滞在した宇野(玉野市)からのお便りである(実際には明くる朝の美のことである)。食の傾向にも関わっており、昼→夕(夜)→朝と同じ場所(座った席は少しづつ替えたけれども)で、餉を戴いた。そのことも珍しいが、日に三食(実際には二日間にわたって)というのも稀である。正確を期すことはできないが、お昼は定食で多い量だなぁと思いながら食べ尽くした。同朝は岡山の宿で食べているから、それを加えると4食連続、前夜はママカリを肴に呑んでいるし、その朝は、東京駅で駅弁当を求め、岡山駅到着寸前で何とか食べ終えていた。したがって、ほぼ1日三食である。
 東京駅構内(14日)で、量もほどほどであったので30品目バランス弁当に決め、注文すると、至極お元気で、ご丁寧な販売の方に「健康にもとっても良いお弁当ですよう」とほめられたが、もうすでにビールを溝外のお店で別々のブランド1本づつを仕入れていたので、とても健康を考えて(お弁当を)買ったわけでもないから恥ずかしかった。そういうわけで呑みものは買わなかったのだけれど、だからといって、「お飲みものはいかがですか」とも仰言られなかったのが、嬉しかった。

 ただ、食べ過ぎである。

 多島美とは島が点々と、あるいは在々とある容であり、松尾芭蕉に戻ればよい。松島付近もそうであるし、象潟(きさかた)などはもうないから余計にいとしい。菅江真澄ももちろん訪ねていて、天明4(1784)年、31歳の時という。したがって、往時の潟(多島)の象(すがた)をしっかりと視ている。司馬遼太郎氏はもちろん視ていらっしゃらないから、そのことを『街道をゆく秋田県散歩』の中で恨めしそうに記されている。
 只今(15日)いるのは「せとうち」である。あいにく、着いたその夕景を撮ることはできない。明くる朝、無理をして、起きて、撮った。

[多島美の朝・美]
多島美の朝美

[しつこいが]
多島美の朝美2

 駅弁(14日朝・昼兼用)から数えると6食(16日朝)を続けている。もちろん、次第に量は減っていくのだけれども、この日(16)のお昼も地の人にお聞きしたラーメン店で食した。そして、夜もやはり呑食。ただし、身は福山に移っていた。

 食べ過ぎ。

[宿の、というかその同系の食事処(3食摂った)で咲かせていた梅をこっそり持ち帰ってきた]※宿のお茶碗に挿してみた
宿の梅

 ずいぶんとひさしぶりに鞆の浦を訪ねた。次回に。