3D画面を視た

 所用で所沢に出かけたが、約束の時間を間違えていたことに改札を出てから気がつき、どうしようかと迷ったが、少し、街でも歩こうと、途中デパートやショッピングセンターを覘いてみた。ある家電店に標題のTV画像が実際に体験できるよう、それ用のメガネが備え付けてあり、折角だから試してみようと思った。すでに少年が覗いていたのであるが、オジサンがあまりにも視たそうにしていたのに気づいたのか、換わってくれた。ありがとうΩ
 今となっては比較的小さな画面(32ぐらい?)であったが、それでも立体が飛び出してきて、ああこれは大画面ならば大変な迫力なんだろうなと想像できた。メガネが少し邪魔であるが、もうソレも無しで視ることができるそうである。おそらく5年もするとThree Dimensions(TD)が当たり前の世の中になると思うと未だに1Dにも満たない拙頭では追いつかない映像社会だろうとも想像できた。
 商店街をぶらついていると、懐かしい香りが漂ってきた。所沢の焼きだんごである。一巡りした戻りに一串(100円:税込)求めて、所用先へ向かうすがら齧(かじ)っていた。他の街では(恥ずかしくて)できないけれど、ここ(所沢)ではなぜだか、それができる。

[こちらもTD]Tokorozawa Dumpling(DANNGO)

TD

味ゃな呑み屋

 町田での所用を終えたのち、お相手と呑んだ。変なお店で、ビルの地階にあって、自動ドアを潜ると、右と左に分かれている。右側に店員さんがいらしたので尋ねると、右と左ではお店が違うと言う。「どっちがイイの?」と、(私はコッチの人間だから)「コッチ」と⇒を指す。それを信じて、コッチへ。寿司屋さんであるのだが、カウンターには物が置かれていて、ほとんど機能しておらず、個室へ案内された。量が多くて参ったけれど、旨しくいただいた。が、お店を出てもまだ、その構造が分からず、味よりそちらの方に気をとられていて、もう3ヶ月ほど前のことであるが、いまだにとられている。
 
→コッチ(個室が数ケあって、寿司割烹風)
あいうえお2
←アッチ(個割の座敷もあるが、居酒屋風)

 トイレは右側(コッチ)領域にあって、左のお客さんもそこを利用している。これだけでは分かりづらいと思うが、二世代住宅のような造りで、コッチはじぃ、ばぁ、アッチはママ・パパとでも言えばよいのであろうか、想像では右(コッチ)と左(アッチ)は親と子が別々に切り盛りしているのではないかという構造にある。いまだに不思議で、できれば、もう一度うかがって、今度はアッチで呑んでみようかと思っている。名前もシャレていて、例えると「ABC」(→こっち)(DE)「FGI」(←アッチ)といった具合か、いつになるか分からないが、再訪してみよう。
 数年前か、ある温泉街でカウンターだけの小さな居酒屋に入った時のことである。途中、トイレの場所を尋ねて、その方向に。と、その先に今までまどろんでいた雰囲気と全く異なる照明の暗さが眩しく、´所用´を済ませて、ご主人に事情をお聴きすると、アッチ(スナック)が本家(奥様)で、コッチは分家、お体を悪くして、一時お仕事ができなかった際に、じゃぁ、居酒屋でもやったらということで、今がある。(広さは五分の一ぐらいだったか)
 ?ヤドカリ?居酒屋だと仰言るので、そのヤドカリの宿を借りて呑んでいますと、ほかに誰もいず、時々様子を伺いにいらっしゃる、本家の奥様に二人でもって気を遣いながら、遅くまで呑んだ。
 それより以前、神戸の知り合いを訪ねた際、連れて行かれたバーは午前零時の鐘とともにカウンターのママさんがオジさんに変わった。聞くとアカの他人らしい。友人は知っていたようで、隣りでニヤリとしている。それ(カウンター内交代)でもってメニューや価格はというと、ほとんど変わらず引き継いでいる様子であった。ただ、もう決して若くないオッサン3人がゐるというあまり(まったく)美しくない光景のみがアフターシンデレラタイムに澱んでいた。

 この裏表あるいは右左商いはこれからも増えていくものと思う。二毛作というのがある。例えばお昼にランチ、今度は帰りに来てくださいねぇ、と、まんまと釣られた方も少なくないだろう。昼にお蕎麦屋さんでソバをすすって、ではと、会社帰りに一杯呑みながら二たびススっているのは二期作である。基本的にお蕎麦屋さんのメニューは昼も夜も変わらない。(夜限定というお品もあるけれど)
 シェアリングという謂い方とも似ているだろう。ルームシェアリング、カーシェアリングワークシェアリング・・・など、味ゃな話が二毛にも三毛にもなってしまうが、もともとシェアリングしてきたはずの社会であるが、いつの間にかその比率が偏向して、貧富の差は広がるばかり、そろそろ富のシェアリングをしてはどうだろうか。と、年に一度プレゼントシェアリングをしているサンタさんに代わって。 by sewingpattern

お焼こ

 今年もヤーコンが届いている。天候不順などもあり、昨年に較べると、細め・小ぶりではあると聞いていたが、存外立派な身形(みなり)をしている。20芋ほどを剥(む)いて、擂(す)りおろした。途中、エキス(擂り汁)を舐めてみると、^甘^
 20センチ径のボウル一杯に満ちた擂り実に薄力粉を適当に足して、そのまま少しねかせて置いたほうが良いのだろうが、待ちきれないので数枚焼いてみた、それが?お焼こ?(おやこ)である。^_旨_^
 エキスがたっぷり出るため、ヤーコン擂り実だけでは心許ない、つなぐのは薄力でなく強力粉のほうが良いのかもしれない。(お好みで)

[大きいモノで20センチ長程度]※直径は数センチほど

画像0136

 擂る先から変色が進むので、見た目はあまり良くない。右側は鮮やかな薄緑濃黄色(画像では分かりづらいが)、数分経つと左色(褐色系)になってしまう。見た目というのは当てにならないが、当てにする場合も多いので、結構、損をしているヤーコン君である。

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 フライパンに薄(少)量の油を馴染ませたら、擂りヤーコンを適宜載せ、お焼こに。今回は早く食したいので、手の平に収まる程度の小焼きにしたが、パン一面に1枚という方法もある。予想はしていたが、水分(エキス)が繋ぎを超えているため、一部地方で謂われる「だら焼き」(伊勢志摩経済新聞より)の成り損ないのようになってしまう。

オヤコ1

 ヤーコンは保存がむずかしい。もちろん、収穫したばかりをすぐにいただくのが良いのであろうが、そうもいかぬ、たくさんできて食糧難にも寄与するというところにヤーコンの優(やさ)しさがある一方で、放っておくと長くはもたないという難しさもある。まだ、2年目のことでしかないけれど、擂ったものに繋ぎ(小麦粉)をして冷凍しておくのが無難である。↓画像は昨年凍らせたモノの最後の一品であるが、数週間前、残り2つめを解凍して、お焼こしてみたところ、これもやはり、_^甘旨^_であった。
 小麦粉以外に何も入れていないが、味付けにインスタントコーヒー粉、バニラエッセンス、餡子(あんこ)などを添えても良いかと想像している。^甘^いが、お好み焼きのと同じようにソース味やしょうゆ味にしても^旨^である。
 もちろん、擂らずにサラダ、キンピラ、大学イモ風、カキアゲ(テンプラ)あるいは擂ったモノをお吸物や鍋物の具(摘みれ、お団子)にしても、独特の食感とともにオリゴ糖が口舌を刺激してくれて、美味しくいただける。正確ではないが、昨年に較べ、ヤーコン・サイトの数が増えたような気もする。

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 芋と書いたが、そうではないらしい。そこが不思議で素的なヤーコンである。

拙ブロ;ヤーコン関連
 ヤーコン(野〜根)奮闘記
 妙心寺?心妙?記の貮(学林)

 少し忙しない。が、忙しいわけではない。いろいろと留めている事がらもあるのだが、そっちに向いていない。だから、ほかのことに眼を注(お)としている。所用でうかがった風景である。時節を思えば当たり前であるが常緑を除くと、皆、赤黄茶けていて、落ち葉も程好く澱んでいてくれる。

[すっかりモミジ柄]

画像0140  画像0141

[落ち葉の集い]※右は少しブレ気味に撮ってみた

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 (部屋に)ずっといたので、気を遣っていたが、撮りたいと思っていて、本日、ようやく、納まってくれた。これまでも手にとると、ぴょんぴょんと暫らく遊んで呉れて、そのうち、厭きて、ゐなくなる。現在(いま)も撮ったあと、疲れたのか、すこーんと姿を消した。

   くもちゃん

 ただ、昨日の、あるいは数日前の御方がどうかは判らない。

EYE_CONTACT、ASHI_CONTACT

 街へ出ると、想わぬことに出遭い、そして、教えられる。

(1)

 もう、二ヶ月も前、9月末のことである。まだ、暑かったとも記憶している。小径を歩いていると、向こうから自転車に乗ろうとする小学生の女児がわたくしの方に車ごと突っ込んでくる、顔は隣りを並行して小走りしているともだちに向いていて、おしゃべりに夢中のようで、わたくしにまったく気がつかないままなので、少し、あわてた。
 ようやく気づいて、ハンドルを切り、除けようとした。
(きをつけようね)程度のつもりで、一瞬だけ目を見ると、向こうも返してきた。ぶつかったわけでもないし、お互い、言葉はない。
 すれ違いざま、小さな会話が聞こえてきた。並走していた方が自転車の方に、
「眼を見ないほうがイイよ・・・」と、そのあとは聞き取ることはできなかったけれども、(ああいうオジサンがアヤシイから、眼(ガン)無視しなきゃぁ〜、ダメだよぉ〜!!!)と続いていたのだろうか。背広・ネクタイ姿でも職質に遭う人間(こういう日もある09年4月12日付)であるから、それ(アヤシイ)は公的に証明済みで、ともだちの判断は正しいと思う。

 「メをミてハナせ~怒~)」と昔、さんざん叱られたが、それが間違っていることも証明できた。

 携帯やネットには不審者出没情報がたくさんでているから、たまには確かめようね。オジサンも(不審にならないよう)気をつけるね。

(2)

 歩道というのは狭いもので、車道より幅広のそれを歩いたことは(おそらく)ない。

?いたっ?

 町田を訪ねた際のことである。アキレス腱と踵(かかと)の中間部分にゴツンという音が響いた。それが、いたっ、である。と、前を歩いていた方が、大丈夫ですかと、振り返るので、不思議に思ったが、視線がわたくしの後方に移ったので、わたくしも振り返ると、車椅子の方がいらした。どうやら、前の人は付き添いの方で思わぬ「事故」に戸惑っているようである。
 原因が車椅子に座った状態で足を預けるステップの先が(わたくしの足元に)ぶつかったと分かる。その部分に手を当ててみると、市革(バックステイ)というのか、スニーカーの背後部分の覆いが緩衝となったようで、特に痛みはなく、少し皮が剥けた程度であり、念のために足首を何度か捻(ね)じってみたが、異常もない。
 前にも書いたが町田駅付近というのは存外坂が多く、歩いていたところは登り坂であったから、車椅子ごと前進するためにハンドリムを力いっぱい操舵していただろうから、その勢いを止めることはできない、急に停まったわたくしが悪い。

 後ろに目はないが、背後を留めおく眼は必要であると教えられた。

 出遭いは街にあり、そこでモノゴトを知る、教えられる。(出逢いじゃないよ)

閑話落第

 今朝、ネットでTVのデジタル化を促すため「砂嵐」画像を一瞬流すというニュースを報じていた。告知、啓蒙を図るためらしいが、傍目(わたくし)には今話題の「暴力」行為、いえ、脅迫行為のようにも思われる。

 「早く、新しいテレビ買わないと、みえなくしてやるぞぉ〜」とまるでイジメのようである。

 自衛隊暴力装置であることは(とりあえず)否定しない。ただし、彼らには別の(得体の知れぬ)装置と敵対するリスクが時代や国の事情によって確率は異なるものの、確かに存在する。質(たち)が悪いのは一方的な暴力装置である政治家たちである。わたしどもは暴徒(政治家)から自己を衛るべき装置を持ちあわせていないから、争(あらが)うこともできず、ただただ自爆することを祷(いの)っているのみである。
 くれぐれも不発弾にならぬようΩ

閑話休題

 Хвала  Драган ,

   (〓lovefukuoka)