地獄から天国へ(新潟泥縄記)

 引き続き沼垂(ぬったり)について。
 
 越の華酒造さんは全国各地の造り酒屋さんなどとオエノンホールディングスを形づくっている。例えば銀座6丁目のル・シズィエム・サンス・ドゥ・オエノン(第六感的仏蘭西料理食堂)、例えば灘五郷の富久娘(日本酒)、紫蘇からできた焼酎「鍛高譚たんたかたん)」などを造る合同酒精、浅草1丁目1番1号でお馴染みの神谷バー発祥のデンキブランとシャトーカミヤ(牛久)など多酒済々である。もともと別にあった地方の造り酒屋さんが一緒になってマイナスもあると思うが、異なった形と形でもって別の新たな容ができるという楽しみ(プラス)もある。ただし、OENON(オエノン)を逆から読むと、NO_NEO、余計なお世話である。

 さて大化の改新により地方がなくなり中央が威張る時代がいよいよやってきた。東、北へと勢力を伸ばす「国家」は越の国にも浸入し、東北からの護り(もちろん攻めの効果もある)のとして渟足柵(ぬたりさく、647年)と磐舟柵(いわふねさく、648年)を誂えた。古墳時代に高志深江(こうしのふかえ〜ほぼ中下越)、久比岐(くびき〜ほぼ上越)といわれた地方は越後となった。北は出羽(いでは)であるが柵は越後の中にあった。両柵の正確な位置は不明とされるが、その名から前者は現在の新潟市沼垂町付近、後者は村上市岩船付近にある石船(いわふね)神社辺りといわれている。その距離は只今の道路基準に合わすと約50キロ、その中間に旧(もと)の諏訪神社がある(聖籠町諏訪山)。⇒王紋と越後菓子09年11月6日付

 沼垂町から新潟空港にいたる途中に「物見山」という地名が遺(のこ)っている。その辺りが「柵」という考え方もできる。もっとも、物見山を含む近辺の海岸線は小高く(海抜20メートル前後)、物見に適した地域が数十キロ続き、どこからでも防御が可能な土地でもある。「新潟砂丘」といわれる。
 比して「新潟」は海抜ゼロメートル地帯である。川底より道底の方が低い状態を天井川という。新発田市を流れる加治川もそうであった。(天井川の形成過程滋賀県サイトより)
 新潟市の場合は「天井海」状態である。下記サイトの資料を眺めると、よく分かる。信濃川阿賀野川に囲まれた地域「鳥屋野潟)(とやのがた)」と信濃川左岸の西川と中ノ口川に挟まれた西区に海抜マイナス2メートル以上が多く存在する。地図上のピンク色はプラスレベルであるが、苦労して土嵩を上げただろう農地のほかは天井川、道路そして海岸線の砂丘である。

⇒ [新潟地域のゼロメートル地帯分布図](PDF)⇒新潟市環境対策課サイトより)

 今、わたくしが立っている沼垂西付近はマイナス1メートル前後にある。正確なことは分からないが末広町から港付近を経て、ここまで到る間はやや下っていたようにも感じる。下図の場所は特定できないが、おそらく青山海岸(日本海)辺りから信濃川〜鳥屋野潟〜阿賀野川を北西から南東に割ったものと思う。阿賀野川の手前、旧砂丘(西山・松山)辺りに今は大江山公園という縄文時代をモチーフとした場所がある。もちろん、わたくしは訪ねたことがないけれども、新潟市内でも古くから集落があった地区らしい(↑縄文からね)。しかし、そこを除くと日本海まで斉しく海抜ゼロに満たない。正確に表せば海抜(海面の高さ)はゼロ以上であるので、海抜0.1メートル程度では海より深い(天井海)のである。

⇒ [水害と歴史に関するもの国土交通省北陸地方整備局信濃川下流河川事務所
 
 新潟で現在も水害が絶えないのは以上のような理由もある。

 特に阿賀野川は近所でも評判の悪たれ少年であった。阿賀野川新潟市と旧豊栄市(とよさかし〜現北区)などを分かつ大河であるが、300年前はというと徒(いたずら)ばかりしていた。阿賀野川の「河道変遷の歴史」(国土交通省北陸地方整備局 阿賀野川河川事務所)に18世紀からの履歴書が示されている。正徳3(1713)年の阿賀野?坊や?はよほど淋しかったのか、この頃兄(弟?)の信濃川に異常なほど接近している。(変遷のアニメーション版)

 その流れは阿賀野川より岐(わか)れて「紡績角」付近で新栗ノ木川と合流して信濃川に注ぐ只今の通船川にほぼ沿っている。末広町は右岸、沼垂は左岸に位置する。もともと、「新潟」という土地は存在せず、信濃川阿賀野川のもたらす土砂が堆積して新たな土地を形成したにすぎないから、当時はすべて沼(ぬ)っ垂りした泥土であっても致しかたがないことだと、心なしか周りの土地より沈んで感じる底に立って、想っていた。

 サンクトペテルブルクを流れる川をネヴァ〜нева(ニィヴァー)という。語源についてははっきりしていないが、以前にも記したがいかにも泥・沼(ねばねば)ぽいが、一説によるとフィン(ランド)語の沼(泥ゝとした)だという。フ(ィ)ン語、つまりはわたくしどもと親(ちか)しい間柄にあるのだから、ニィヴァー=泥もあながち外れてはいないのかもしれない。

 небо(ニィェーバ)は天国というロシヤ語である。先人と今日人の力でもって、新(ニィ)潟は苦しみを乗り越えた。

 阿賀野川の今は少年期に較べるとスコシは悠然と流れているらしい。以前のことであるが上流に向かっている際に振り返った夕陽がとても素的であった。

 民に贖(あがの)うているのだろうか。そこのところは本人に聞いてみないと分からない。

 ⇒ サンクトペテルブルク(07年5月21日付)

 引き続き。。。