焼尻、山羊屋さんでの会話…古譚、龍潭…

 焼尻に渡られた小納(こな)家のもとは加賀の国塩屋村(現加賀市塩屋町)に生まれた(初代)宗吉さんが最初であり、ゆえに塩屋先祖と呼ばれる。正次さんによる『焼尻島残影』には詳しく、同家の流れが著されている。正次さんのお父様は月津村(現小松市)の生まれで、宗吉さんの筋に当たるミヨさんと結ばれる。同著には入夫とある、すなわち入り婿であろうか。わたくしの祖父は舟行商人で、半島と半島を行き来し、売り先に通っているうちに、祖母と知り合って、居ついたと聞いている。いわば入夫であろう。以前は、そういう婚姻形態も多かったのだろうか、あるいは、業を営んでいて、たまたま男世継ぎがいない家では必然だったのかもしれない。ただし、わたくしの祖母家は単なる貧しい半農半漁の家であったので、やはり、居ついたというのが妥当であろうか。それはともかくも、仕事関係のお知りあいに加賀の方がいらして、塩屋のことをお聞きした。もちろん、よく知っていらして、よく海水浴に行ったと仰言っていた。引き続き、塩屋については調べてはいるものの、情報が少なく、先ほどの加賀の方に言われたように、一度、行かなければ、始まらないということだと、いつ、行けるのか、その機会をうかがっている。実は沖縄の島々を訪ねている間も、天売あるいは焼尻のことを考えながらいた。もし、焼尻が、例えば、那覇の沖合いにぽ〜んと浮かんでいたならなどと妄想していた。あの(焼尻)平坦さといい、樹木の多さといい、訪ねた神々の島、久高を思わせるといいたいところであるけれども、それこそ、ジグソーパズルで、最初の1片を間違った箇所に置くようなもので、その後の埋め合わせ作業を無にして、最後の一片を手にもったまま、自分の浅はかさに気づくようなものであろう。
 ただし、北海道(アイヌ)と沖縄(リュウキュウ)には共通点が感じられよう。ただ、そう断じたものの、未だに、決定的な裏づけはない、というのが現状である。再び、山羊屋さんでの会話。お相手は宮古ご出身の方(宮古には川はないが・・・を教えてくださった方)である。そういう話になった、すなわち、アイヌリュウキュゥアン(RYUKYUAN)が似ているという話題についてである。常々、両者の共通項を思っていらっしゃると仰言られたので、わたくしも、返して、古譚のタンと、風譚のタンは同じかもしれないですねえ、と。しばらく、双方とも黙考したすえ、ほぼ同時に、宮古の方は「タンゴ」と発せられ、わたくしは「タング」と。このことについての会話はそこで御仕舞、この先は、お互い、それぞれ、また、考えましょうということになった。同じリュウタンでも、首里城脇のお池は龍潭である。コタンは古潭と表わす場合もある。しばらく、譚あるいは潭についても、考えたいと思っている。