高知

 7・18付「寫眞」を書きながら思っていたのは、写真、というと龍馬の姿を思い起こすということ。あの、きりりと立たれたセピア色のりりしい、お姿が浮かんだ。(高知に)行ってみると、実際、高知駅ビルのお土産屋サンでも、絵はがき用として、売られていた。そういう思い、も、もちながら、高知に向かった。記憶では過去二度行っている。最初はかなり前のことで、二度目は数年前である。ただし、前者の方がはるかに印象に残っていることがある。初めての土佐詣ではおそらく20年ぐらい前のことだと思うが、夕方にひょいと入ったラーメン屋さんでのこと、お客さんが、真剣な口調で(ちなみに、お酒を呑みながら)政治について語っている。ただし、(お酒を呑んでいるからという)いわゆる愚痴ゴトではない、また、他のお客さんも聞かされているというのではなく、参加している。その後、アテネを訪れた際にシンタグマ広場近くの公園で政治論を交わしている(だろう=言葉は分からないが、雰囲気がそれを顕している)場面で、この高知のラーメン屋の光景を思い出した。土佐人もアテネ人も根っからpolicyを身につけており、そのことが両「市民」にpoliteな雰囲気を漂わせている、と、思っていた。
 このことを、「自由」と著している記事を見つけた。
[高知(土佐)と自由に関する新聞記事]
http://be.asahi.com/20040724/W21/0001.html
 ↑記事にもある駅前のホテル2階にある料理屋に出かけた。すでに1時を回っており、ランチどきは避けているので、他に客もなく、ひとり、広い座敷間に通されて、駅をながめながら、食した。この座敷間というのが土佐の特徴のひとつかもしれない。この夜、ブルーモーメント(拙ブログ7月28日付)をみるために中座させていただいた居酒屋も「全面」お座敷であった(※見た目の造りはカウンター、椅子席であるが、どうやら、現経営者がそうしたようである)。おかみさんは呑んでいる時ぐらい、靴を脱いでリラックスしてもらいたいと仰言っていたのだが、膝突き合わせて議論するには、洋風な居酒屋でなく、こういう呑み屋が適していると、わたくしには、突き合わせてくれる相手はいないが、じゅうぶん、そのムードに浸りながら、隣あるいは大向こうのお客さんたちの「政治論」を傾聴させていただいた。
 板垣退助に戻らずとも(というか、もっと以前から)、土佐という風土には自由があったのだろう。土佐は徳川に代が変わるまで、表向きは長宗我部氏のお膝元ということであったらしいし、山内一豊(徳川)支配になっても、その郎党(長宗我部一族)の制圧に苦心をしたという。では長宗我部氏の時代に土佐人が同氏の支配に従順していたのかというと、そうとも限らない気配がある。
 高知空港そばには物部川という興味深い流れもある。

 よさこいが今年も暑い夏を迎える。よさこいとは、夜さ来いという意味らしい、呑んべい、ならびに宵っ張りにはうってつけのお祭りであろう。今回は叶わなかったけれど、いつか、「雑に」を書いてみたいと、誓って、自由都市「土佐の高知」を去った。もちろん、自由というのは存外、自由ではないということをしっかり確かめておく必要はあろうが、此処では、それすら、脇に置いておいても、損はない。

 よ(夜)さこい、とさこい。