十三夜

 市場で見かけた枝付き豆を買い求めた。
気になるので、大中小に選って数えた。大は長さ5センチ程度で実の生りの良いもの、小はホントに小さい、中はその間と勝手に決めた。結果は、大47、中(20×4の2ケ)160、小21、計228粒である。(都合の良いようなデータの改ざんはありませんよ)
 2+2+8=12、明日(旧暦9/13)は十三夜、別名「豆名月」(栗名月とも)だ。最近知ったフライパンで蒸した豆を天に捧げようか。今日はあいにくの雨・曇空だが、明日の夕刻過ぎには晴れとの予報が、月に向かって、何を願えばよいか?一晩考えてみる。
[枝から切り取り中]

※一さや1.5円でしたΩ

[上から大、中1,2、小]

 

秋の雲

 すっかり秋めいてきた。天気には特異日という見方がある。晴天率(晴れやすい日の確率)でいうと10月10日はよく晴れやすいと言われ、前の東京オリンピックの開会式に因んで決められた。陸上など屋外で行なわれる競技が多いことから、この日が選ばれたという説もある。10日の晴天率は61.0%、前後10日間では42.6%、いづれも1年のうちで高い数値となっている。

※東京/統計期間1961~2019年の59年間:出典:東京学芸大学気象学研究室

 一方、明日(10/5)はと?晴天率27.1%、晴れにくい日である。確かに今日の予報をみても、「明日は雨まじり」とある。鰯か秋刀魚でも食べに行きたいところだが、そろそろ秋の長雨(すすき梅雨)が始まる頃で、出かけたくない気持ちも。

 体調を崩しがちですので、皆様お気をつけくださいΩ

秋雲

 

ウクライナの悪

 今日(9/26)で秋彼岸は終わる。大雑把に謂うと秋分春分は『昼の(明るい)時間と夜の(暗い)時間の長さがほぼ同じになる時季(節)』、1/2である。ただし、今起きているロシヤによるウクライナの侵攻は2/2(100%)、露国に悪がある。

 牡丹餅もお萩も作らなかったが、エダマメを擂り潰した、全てを滑らかにはしない、半殺しである。

 『はん‐ごろし【半殺し】~ほとんど死ぬほどのひどい目にあわせること。』(広辞苑無料検索

 もちろん、亡くなられた方を悼み、ご家族の悲しみを案ずるが、今、戦火の中で生き永らえている方々の行く末を想うと心が落ちる。ウクライナ国家に悪があるとすれば、「ハンゴロシ」を民に強いたことに在る。

 他ブログで申し訳ないけれど、参考にΩ

雑に

世界一旨しい「くりせん」(栗煎餅)

 と勝手に思っている。富士川沿いの鰍沢にお店はある。ただし、これ(画像)は途中、道の駅っぽいドライブインで見つけ買い求めた。あぁ、食べたいなぁ〜と疾うにお店を過ぎたのち、想わぬ出逢いに感謝。この日、ある場所に向かうすがらのことである。

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 偶然であるが、今昼、所用の所沢で、また食べてしまった焼き団子(旨!)のお店と栗煎のそれは同名である。いえ、和菓子屋さんとしては王道の名前なのであろう。ただ、その理由が分からない。

 ある場所については、只今、想いを束ねている最中で、近いうちに記したいと思う。

ドック還り〜BACK to DOCK

 診断結果(速報)は前回までの記録と並べられているから、肝機能が低下していることはすぐ分かる。
休肝日は設けていますか」との問いに、「特定日はありません」と毎日呑んでいることを否定しなかった。週二日はそうしましょうと、呑むこと自体を否定はされなかった。
 もともと胃は強くないが、先生(診断医)が面白いことを仰言った。
「新品で買った絨緞の毛氈が剥がれてカーペットになった状態ですよ」
 胃壁を覆う粘膜が磨耗して、刺戟を受けやすくなっているらしい。だから、お酒を控えましょうというのが宗旨である。

 以前から気になっていたタオルの裏表と通じることで、フツウ模様が施されている方でなく、無地の側で身体を拭くものと思っている。ただ、諸説あって、いまだに正解がみつかっていない。
 ⇒拙ブロ:手オル と タ(ta)拭い(05年5月23日付)
 毛布もそうで、柄(模様)入りの面を外気に晒しているように思うが、それが正解という確信はない。衣服もそうである。やはり意匠されている面を露出させる。(和服や学ランの裏地はまた別の世界)表より裏面の方がより実用的な機能を担っており、オモテはある意味「飾り」「見かけ」に過ぎない。わたくしどもそうで、露出している表面が綺麗にみえても裏(内)側は分からない、むしろタオルや毛布や衣服の心地よさと同じで、裏(内)側が大切なのであろう。ただし、見ることができない、ついついオモテに騙されてしまうことの方が多い。
 1年に1回だけのことだが、自分の裏(内)側を視ていただくことで、オモテに惑わされないようにと、そんなことを胃カメラを呑みながら想っていた。

 帰り途、白壁の蔵を検めてみた。鳥居がみえて覘こうと思ったが、已めた、どうやら、個人のお宅のようで、表札があった。裏側には蕎麦屋さんもあったが、関係の有無は分からない。尋ねようにも休業日で、術がない。もっとも先ほどまで咽喉に長細いソバ状の管を通していたこともあるのだろうか、開いていたとしてもソバを喰む気にはならなかっただろう。帰りの列車を待つ間、やはり年一のカフェによって、今日初めてのコーヒーを啜りながら、年終・年初の混雑を避けて訪ねてくる湯治客の緩(ゆ)っくりとした足どりを眺めていた。(1・5記)

風采

 人間ドックの日程がいろいろ調整した結果、来月5日に決まった。前回と同じでもある。この時分の温泉街というのも中途半端な時期で、湯治客も少なく、といって、まだ正月ボケの地元の方もあまり活発でなく、業務関係も含めてすべてが緩慢な流れにあって、まるで温(ぬる)い湯に浸(つ)かっているようである。
 ここから?K駅?は近いが、今回(ドックの日)は八木義徳氏の「風祭」に浸(ひた)っている余裕はなさそうである。宿題もあって前回分からなかった建物の正体を突きとめることもしなくていけない。
 「みかけ」(風采)というものは仲々あがるものではないが、せめて、診かけだけはしっかりしていただいてこようかと思う。
 先日、帰りに撮ったのだが、何であったか記憶が薄れている。

なぞ1  なぞ2

  なぞ3 なぞ4

 何だろうね?
 
 おそらく、何かのイルミでもと思ったのだろうが、それが伝わってこない拙さが写りこまれている。帰る道順はほぼ毎回同じであるので、あそこか、アッチか、こっちか程度の推量は利くが、何処だったかという思量が効かない。やはり、風采の問題なのだろう。

拙ブロ
彼も此も其も)2010年1月19日付
「風祭」再読考(1)〜H駅とK駅)2010年11月17日付
「風祭」再読考(2)〜聖イサアク)2010年11月18日付