兄川・弟川

 山麓から、これまた少し足を延ばした。とはいえ、周りはすべて山という鏡遇に変わりはない。
 標題の兄川と弟川にぶつかった。あとで検めると、源流が異なっていて、いわば、異母兄弟ということになる。ただ、地図上には顕われない〓流が奥秩父の山の底で合わさっているのかもしれない。

 八木義徳氏の『風祭』にはそういうことが書かれている。
 舞台は同じ山梨県春日居町(現在は笛吹〜ふえふき市〜市町村合併の際、兄弟が合わさる川の名を採って、そう名づけた)。ただし、いくつか疑問もあり、そのことについては、いずれ記したい。

 今回は笛吹川を遡った。只今は秩父とは隧道が貫らぬかれていて容易(たやす)く往還できるが、それ以前はどうだったのか、奥秩父の首塊を担う水晶山、雁坂峠といった2000メートル級の山皺を冒してまで果たして交流(交易)していたのだろうか?実は、トンネルの手前までしか行っていない。手前の道の駅「みとみ」でちょっとだけ得た情報によれば、往還は?頗(すこぶ)る?ともあり、今でも峠越えをされる方もいらっしゃるらしい。

 手前には西・東沢渓谷があり、今頃は紅葉の見ごろではないのだろうか。(訪ねた月初は少し早かった)

 『・・・屋敷は、一念寺から青梅街道へ出て西へ十分ほど走ったところにあった。』(風祭より)

 比して、青梅の道筋はというと改めて電子地図を眺めると、素通り(スムース)な印象があって、しかしながら、一度も踏み入れていないことが往還同様に自分の拙さを教えてくれる。

 少し、このニ旬ほどを自分なりに纏めておきたい。山あり、海あり、温泉あり、人あり、、、そういうことでしかないのであるが、それしかないといえばそうでもある。以下、引きつづき。