快川紹喜、夢窓国師(恵林寺・観庭)
恵林(えりん)寺を初めて訪ねた(13日)。ずいぶんと前、塩山(えんざん)温泉に泊ったことがあるが、その際はまったく心になかった。きっかけは妙心寺にある。(拙ブロ:妙心寺?心妙?記09年12月10日付)
武田の菩提處として護持され、それらがもとで、織田に廃され、徳川によって再興され、柳沢が眠っている。
この庭は失礼だが田舎の一都市(まち)にあるにしては品(ひん)がどさっとコンパクトに詰まっていて清々しい。ど素人のわたくしがそう思うぐらいであるから、評判を聞きつけて各地から参庭者が絶えない。
臨済宗の僧でもあり、同寺を興した(開基)した夢窓国師(疎石)による作品(築庭)である。
もうすぐ紅葉が耀き、春にはこの枝垂れ桜が花やからしい。
疎石の代表作は苔寺(洪隠山西芳寺〜お寺の再基も担った)と謂われる。久しぶりに苔寺をサイトで検めてみると、77年より予約制になったとある。そういう面倒くさい手筈を踏まないわたくしだから訪ねたのはその前だったのだろう。記憶の中では鈴虫寺(華厳寺)、天龍寺(此処も疎石による開基)、落柿舎、大覚寺、広沢の池、そして仁和寺を廻った時ではなかろうか。はっきりしない。
武田が滅びたあとに織田による攻めは厳しく、恵林寺も焼き討たれた。
同寺を興隆させた快川紹喜(かいせん じょうき)が燃えさかる中で発したといわれるのが、
『安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も自ら(亦た)涼し』
という有名な句である。
その真意(云ったかどうかは)は分からないが、もとは杜荀鶴(とじゅんかく)の句らしい。
『坐 心静かなれば 即ち身涼し』とある。
但能心靜即身涼〜但(た)だ能(よ)く心静かなれば即ち身も涼し
こちらは白居易(白楽天)の白氏文集卷十五「苦熱題恆寂師禪室」にある(千人万首〜やまとうたより)。今夏を想起させるような句でもある。
恵林寺も妙心寺派であり、乾徳(けんとく)山恵林寺と称す。残念ながら囲まれている山が多すぎて、どれがそうなのか分からずじまいであったが、確かにそこに2000メートル級のその名を冠した山がある。
ちなみに琉球王子、尚宏(しょう・こう、大・具志頭王子朝盛〜寧王の弟)が眠る清見(せいけん)寺も臨済宗妙心寺派で、巨鼇(こごう)山清見興国禅寺と称す。(拙ブロ;琉球留記・附留?〜興津・清見寺(おきつ・せいけんじ、07年9月30日付)
鼇とは大きな亀、したがって、清見寺には大きな大きな亀さんが駿河湾そして大海からやってきたのであろう。(拙ブロ;三山五山、07年5月10日付)
ついでに、曹丕(そうひ)〜曹操(武帝)の長子〜の詩を(冒頭)。
漫漫秋夜長 漫漫として秋夜(しうや)長く
烈烈北風涼 烈烈として北風(ほくふう)涼(つめた)し
おやすみなさい。