檀家、檀那、檀越(だんおつ・おち、だんえつ)

 旦那イっカッガっすかぁ〜・・・という客(ぽん)引きの声はシャッチョサンとともに繁華街でよく聞いたものであるが、取り締まりおよび自主規制、そして景気のせいで近頃はあまり耳にしない。もっとも、そういう社交・遊興の場に出張っていないからでもある。
 いうまでもなく旦那のもとはお寺にある。その場合は檀那と一応記すことが多い。ダーナというサンスクリット語からきているそうで、手許の漢和辞典には、「布施。寺に財物を寄付する」などとある。ダーナはDonorともつながっているらしい。

【檀】
1.マユミ、野生の落葉樹、わが国で弓を造る材料にする やまにしきぎ(錦木)
2.紫檀・白檀類の総称
 ともある。弓を造る(真)材、真弓ということなのだろうか。
 ⇒ マユミ    (やま)にしきぎ  (GOOのホームページ)より
 マユミはシーボルトに因んでいるそうだ。(Euonymus Sieboldianus )
檀 真弓(だん まゆみ)、何処かにいそうでもある。(元宝塚の方で実名+芸名÷2・・・?)

 檀林といえば、以前にも記した「お寺の学問所」にあたり、おおざっぱにはお寺自体を学問所と解した方が良いのかもしれない。

 拙ブロ
   ⇒ 妙心寺?心妙?記(09年12月10日付)   
   ⇒ 妙心寺?心妙?記の貮(学林)(同11日付)

 お寺の数というのは現在でいえば約8万寺(弱)だそうである。ついでに申せば神社も8万社(強)である。(宗教統計調査/平成20年度/文部科学省)信者数は神道系1億500万人、仏教系9千万人、合わせると2億人に近い。以上は宗教統計調査の数値であり、かなり心許ない。神仏かけ持ちがずいぶんいて、例えば初詣の数日後に某かの何回忌にというのも含まれているのかもしれない。もちろん、その10日ほど前にはクリスチャンへ擬態もしている。

 さて、江戸時代のお寺の数はというと、ご教唆をまず紹介する。これはもう放置という範囲では許されない。昨年12月に戴いたコメントである。(謝Ω)

Re: メッシ放光

 先ず寺険だけでも。昔の檀家制度で寺の数はざっと当時の人口を三千万人と見積もって檀家さんが百人いるとなると三十万寺となります。
 そこから神社は多いように見えても、神仏習合が多く、寺の方が多いとなります。
 仏教の信者数は、90%に迫っているので、一億人を越えてます。

 後日談(コメント)があって、百人ではなく、百戸の方が現実的であるというコメントも頂いた。

 Pfaelzerwein(Wein, Weib und Gesang)さんからである。遅ればせながら、ありがとうございます。

 発端となる拙ブロは、メッシ放光(09年12月22日付)である。そこに記したが江戸時代の人口を調べていた際、お寺の数が気になり、サイトを色々と覘いてみた。また、人口と?一家?当たりの扶養人数を推して、あれやこれやいじくり回していると、20〜25万ヶ寺という数が浮かんできた。根拠というほどではないが、江戸末期の人口3千万人に対して戸数は一家で4〜5人と勝手に決め、1寺当たり檀家30戸と欲張らないと、そうなる。(よって、Pfaelzerweinさんのは正答ということに)
 当然、寺院の規模などで異なるし、どこかのお殿様?専用(檀家1戸)?の寺院というのもあるので、あくまでも平均値あるいは一般値でしかない。

 では、現在はというと、これは千葉県市川市にある青暘山・慧日院・善照寺(浄土宗)のサイトによるが、檀家300がまずまず(採算分岐点?)という記述がみられる。(寺報/第10号/04年4月/お寺との付き合い?※4頁)推定江戸時代のほぼ10倍である。二たび、推計である。現人口は1億2,800万人、世帯数は5千万(一家に2.6人ぐらい)、お寺の数は8万、以上でもって、檀家数は600強となるが、そもそも仏教系ではない人(家)がいらっしゃる、また檀家というのは長男世襲制が一般的であるから、別居していても親と長男世帯は同一(重複)だと考えると、やはり300程度なのかと想像できる。
 ちなみに曹洞宗1万5,000ヶ寺では檀徒(家)・信徒あわせて800万と標榜しているから単純計算で500を超えているが、檀家のみとすれば、300により近づくことになろう。
 
 寺検の答えである。

寺検1・・・お寺の数はいかほどか?
 江戸時代20〜25万、現在8万程度である。江戸期95万ヶ寺説というのもあって、実はそうではなかったかと思うところもある。1寺当たりの檀家5〜6戸、かかりつけ医ならぬ?かかりつけ僧?の存在も強(あなが)ち否定できない。

寺検2・・・神社より多い↑、少ない↓
 神社より↓(少ない)。ただ、神社の場合、ひとつの社に合祀(本社などより分祀)されている場合が多いので、物理的な意味での数ではお寺の方が多いと思われる。江戸時代はどうか、問題を出しておきながらどうかと思うが、よく分からない。おそらく6〜8万社ではないか。つまり、現在と変わらない程度と考えている。Pfaelzerweinさんの回答にもあるが江戸期には神仏習合(神社とお寺が同居状態)があり、当てずっぽうであるが、20〜25万ヶ寺の1/3はそう(習合)であったかと漠然と思っている。かなり時を戻すが延喜式(10世紀)には3,000社余りとある。おそらくこれが本社格に準じていて、その後、伝播普及していったのであろう。ただし、神仏分離となった明治以降はその限りではなく、新たに生まれた神社もある。

寺検3・・・信者の数は1億人↑(以上)、1億人↓(未満)
 ↓。信者の定義がかなり曖昧であると思うし、寺(自)己申告なのだろうから、信憑性は高くない。わたくしもダンナであるが、信者かといわれると、返す言葉はない。

 只今は盂蘭盆会(うらぼんえ;旧暦では22〜24日)だというのに一切合財をお寺さんに委ねている。悪〜いダンナである。