サルがヒトに陥(お)ちる

 あれ(ブラジル代表のFWルイス・ファビアーノ選手のハンドと思われるゴール)は「神(かみ)の手ではなく、彼(かれ)の手だ」というのはディエゴ・マラドーナさんの言葉である。ただ実際に、そのように仰言ったかどうかは分からない。
 今回(2010年)のワールドカップ大会で一体どれほどの「手(HANDS)」が出たのか詳しいデータはないけれども、腕(ARMS)もそれと同等と考えると相当数あったのではないかと、いくつか観たマッチで感じていた。今回は選ばれることはなかったけれども、平山相太選手(J1−FC東京)は長い双腕ゆえに絶妙・微妙なトラップの間合いを有しており、しばしばファウルとされる。それをそれとジャッジされることがなければ、一等の代表FWとして南アフリカの地に立っていたであろう。

 たかがフトボルの話であるが、?Manus?いう人(ヒト)の本能が徐々にではあるが、定着してきたように想う。また、約200年前にそのフト(足)ボルからラグビー・フトボル(手もOK)が生まれたことをあわせるとたかがの話においてもサルからヒトへの進化を窺い知ることができる。もっとも、フトボルの前身は手もOKという競技でもあったらしい。手を使うことができないフトボル、前にパスできないラグビー・フトボルは、いずれも英国(England)らしいストイックなゲームである。ただし、最近のラグビーの方はというとフトボルのハンドのかわりに、キックというars(技)が相当数めだつ。

 『狂ったサル』といったか、高校時代の英語の副読本にあって、内容はほとんど忘れているが、題目だけは虚ろに憶えている(間違っているかもしれないが)。どのような経緯(いきさつ)でもってサルはヒトへと堕(陥)ちていったのか、(ホントに)少しづつであるが、限界国家あるいは限界人類について溜めておきたい。

 東山動植物園のムコドノ(確認しづらいが)

 コッチは赤ちゃんザルとウリボウ(両丹日日新聞/7月30日