おうへいか?(企業の英語公用語化について)

 英語を社内の公用語にするという行為をある人は「バカなこと」と断じていた。賛成である。
 英語公用語化の背景には少子・高齢化により市場「規模」としての魅力がほとんどなくなっている日本に見切りをつけて、海外に進出しようという、決して斬新とはいえない市場戦略がある。
 「英語は直截的で、日本語は曖昧だから、ビジネスにおいては前者が適している」と仰言られたのは楽天代表職だったか、それは言語の問題ではなく、人間の問題と考えることすらできないのかと、そのギャクテン的な発想に驚(仰)天している。もちろん、英語を習得することによる就業機会の拡大という個々の利点はあるが、あくまでも道具としての利であり、それ以上の何物でもない。口(舌)先だけの人間をどれほどの人が信用するだろうか。

 兵器・武器と同様、あるいはそれ以上の脅威を有しているのが言語である。本年は韓国併呑100年目(1910〜明治43年)であり、当時、同化政策として日本語教育が行なわれたが、そのことが韓国国民にとっては向けられた銃口よりもどんなに堪えがたいことであったか、と想像することはできないのであろうか。

 言語を無闇に?おしから立つ?のはどうかと思う。

 ?ベン(弁)は剣よりも強し(惨い)?

 天狗(TENGUE)もこのぐらいであると、かわいらしい。

ふくしま秋葉天狗さん

 福島市にて(秋葉神社