継続は厭なり〜海辺の継続考

 海辺の人が、何て厭な名前をつけるんでしょう、継続だんごだなんて・・・・・・。(以上、林芙美子さん著『放浪記』新潮文庫より)
 彼女には年譜というものは存在しない。したがって、追うことは仲々(※)むずかしい。
 芙美子さんの生まれは北九州市門司区新潮文庫にあり、ほかに下関という説もあるが、そのことはどうでもよい。また、尾道および因島(彼女にとって因果な島)、叔母(伯母かも?)のいる岡山、そして、古里温泉(母親の原籍、鹿児島県、ここを生まれとする〜BIGLOBE STATiON50より〜説もある)。もちろん、生まれがどこであるかには関心はないが、ほぼ、海っ縁(ぺり)を流離(さす)らっていることには興味がある。ほかは東京や大阪など「喰うための都会(まち)」で蠢(うごめ)いているしかない芙美子さん。鉄道でいうダイアグラムを作成すれば、少しは譜(つ)ながるのであろうが、その意味はない。房総にひと月ほどゐたことは前著で分かっているが、他地と違いゆったりとした文章と感じるのは気のせいだろうか。
 直江津はどうも一泊である。とにかく、海辺に行きたかった、ただ、それだけのことであったのかもしれない。いえ、山でも海でも、汚れきった都会を避けて、とにかく自然な息が吸えさえすれば、どこでも良かったのであろうか。でも、青い時刻表から選んだのは直江津(海)であった。彼女の中に山という概念があったのか、放浪記だけでは分からないが、芙美子さんは海っぺりと街っぺりの往来だけを前著の中で書いていらっしゃる。
 海辺で継続だなんて、海辺を放浪してきた彼女にとって、海辺はどう映っていたのであろうか。海辺は猟師の生きる場所、彼らに明日はなく、空も海も魚も待っていてくれない。その日の漁獲が命綱である。(山の)農家が一年我慢して、今日より明日、明日より明後日、その積み重ねでもって実りを待つのとでは180度異なる。芙美子さんの心の中にそのような仕切りがあったのかもしれない。あるいは死ぬつもりでたどり着いた果てで、継続だなんてね、と、それを口にほおばると、存外、悪水(都会)の中に戻る決心がつくきっかけに「だんご」がなったのだろうか。
 大正期の終わりは恐慌の時代である。まともな人間は皆、貧乏している。

「継続だなんてね」

 越後より山麓に向かう途に直江津で時間があった。というか、作った。そして、芙美子さんの継続だんごを買い求めに、駅を出て、雁木の街まで出かけた(歩いてすぐだけど)。

[三野(みの)屋の継続だんご]

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[4ケがつながっている]

 団子というのは五つが本筋で、三つが副筋、四つというのは珍しいと思っていたが、そうでもないらしい。(Potoraランキングより)だいいち、四(死)は縁起も悪いと思うのは齢のせいか?

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[だんごのイメージを超越している]

 白餡好きのわたくしにはタマラナイ。

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 11月3日(だんごぶんかの日)の「どまん中ふくろい全国だんごまつり」(袋井市サイトより)に継続だんごが初登場という情報も入った。こちら(まつり)については永く継続していてほしいと切に願っている。残念ながら、うかがうことは叶わないが、頑張ってください。ついでに、出品だんごの一串あたりの個数も数えておいてほしい。法多山(はったさん)の厄除だんごは5つだね。
 ウェザーニュースによると当日の天気(袋井市豊沢付近)はおおむね晴れ、ただし、ぐっと冷え込みそうなので、皆さん、お気をつけください。
 
 すこし、先を急ぎすぎたが、だんごまつりのことをお知らせしたかった。
 
 次回より、改めて、越後について、記したい。

※わたくしの中では、ナカナカは仲々(仲仲)のつもりであったが、そうではなかったのかと思い始めていたが、芙美子さんは、たまに、中々とも書いているが、多く、仲々を用いていらっしゃる。心強かった。