梅田・朝ぼら記〜綱敷様

 16〜19日は大阪にゐた。所用もあり、非所用もありの4日間である。最終日は夕に東京での用もあったので、おとなしく梅田界隈で小一時間ほど咽喉を潤したことは以前書いた(あんぱんや断層記09年9月22日付)。できることなら、あまり人のいないお店をと思い、12時に開店という時間まで待って、そのお店にお邪魔した。当然ながら、先客はおらず、一人占め状態で、お酒を頼んだ。時間も少ないので、お造り定食を頼んだ。ご飯は半分とも思ったが、出てきた時に、そう言えば良いと思い、黙っていた。突き出しなのか、定食のおかずなのか分からないが、小鉢(胡瓜の漬物2片、鶏牛蒡)が先に出てきたので、抓みながら、呑んでいた。後客が結構いらして、皆、お酒を頼んでいる。向かいはお孫さんと来られている、そのお孫さん以外は皆酒目当てのような雰囲気である。一客は、テーブルにあった注文票にあれやこれや書いたらしく、(呑むぞ〜)という勢いでもって持って行くと、
 「ランチだけなんですわ〜」と、こればかりは仕方がないが、お気もちは分かる。「生追加ね〜」という声に力がない。
 ランチは500数十円であるが、皆さんがお酒を召し上がれば、おおむね倍は売り上げる計算となる。酒呑みばかりであれば、三倍、四倍にもなろう。ランチ稼業も悪くはない。幸い、ご飯の量も心得ていらして、酒呑みには少なめに盛っているようである。(ごちそうさま)

 初日は東京での用もあって、もう疲れていて、寝るだけのことであり、翌朝、出かけた。
17日のことについて記す。所用があるが、それまで間が空いていたので、朝の散歩をしてみた。実は梅田(大阪)の駅から宿への道を確認するために電子地図を眺めていて、「歯神社」というのが気になっていた。わたくしの歯はもうぼろぼろで、だからといって、治してほしいとお願いに行く図々しさはない。ツイツイ神社の一環である。改めて地図をみると、御本社を宿の近くにみつけた。「綱敷天神社」とある。まず、そこをめざした。すぐである、明日(18日)向かうことになるふにゃらふにゃらの方向へと、街区を一跨ぎしたところに鎮座していらした。

[綱敷天神社](つなしきてんじんしゃ)

敷綱本社画像0030  敷綱本社正門画像0040  敷綱本社?画像0037

[お牛様がいらっしゃる]

 菅原道真を祀っている。所縁は同社のサイトにお任せするが、この撫で牛が天神様には欠かせない存在で、うっかりしていたが、湯島神社(天神・天満宮)にもあった。以前、堺市でもそう感じたが、東より西の方がお牛様の存在が目立つ。そもそも、菅公は西の生まれである(奈良とも京都も)。その先、さらに西へと流されたのだから、その空気はやはり西でより濃いのかもしれない。ただし、正確なところは調べていないので、以上のこと、妄想の中である。[拙ブロ:牛に惹かれて(丹南、日置荘、萩原神社)

敷綱本社牛3画像0039  敷綱本社牛さん画像0035  敷綱本社牛2画像0038

 さして広くない、境内にあった筆塚をみて、湯島社にあった泉鏡花の為にというそれを想い出した。

[筆塚]

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 天神社を裏(こちらが表かもしれない)から出ると、そこには前夜の熱も醒めた堂山町が在る。

[堂山・街]

堂山町朝の通り画像0041  看板夜行ったら点いていた画像0042

 このあと、歯神社へ向かう。