羹に懲りて、膾を吹く

(前回より)

 今夕(6月15日)は、食べようという力はなく、とにかく、伺って、このお店の空気を吸おうと思っていたので、ビールを頼んで、しばらく呑むことに集中した。わたくしのあとにすぐ他の席に二組(各二人)いらっしゃったので、当面、食べるのはそちら様にお任せした。二本目の際に、青菜炒めをこのぐらいと、諸の手のひらを小さく丸めてみると、それはできないですよ、と、あっさり、わがままは却下されてしまった。それはそうである。本来、中華料理店は大勢で食べる仕様(経費などの運営のことも含めて)になっているのであって、ひとりで行ってはいけない、そういう「イケテイナイ」ことをしている自分なのだからと、他の二卓の方の食べぶりを眺めているしかなかった。
 可哀想に想っていただけたのだろうか、小皿に盛った紅白ナマス(膾)を持ってきてくださったので、ありがたく、抓みながら、『羹(酸辣湯)に懲りて、膾を吹く』などと意味のないことを想っていた。
 三本目に、シュウマイを頼む(3ケ)。ある事を確かめておきたかった。前回、支店でもって草餃子を頼んだことは書いた。その際にお店の方が蒸篭を持って本店に行き、戻ってくると、奥の部屋に篭もり、出てくると、壁に吊るしてある小さな機器のボタンを何度か指でもって押していた。数〜十分ほどして、草餃子が卓に置かれたので、あの部屋に蒸し器があるのかと想像した。帰る際に、確かめると、蒸し器は通りにあって、湯気を立てていた。押していたのはタイマーであったのだろう。
 今回(本店、シュウマイ編)はどうかと観察していたら、どうもコチラで具を詰めて、支店(路上の蒸し器)へと作業が進んでいる。お店(本店)に入った際に、支店の一卓で職人さんの餃子を設えている様子が開口部から覗けて、ひと区切り(トレイ)ごと本店の厨房に搬入していたのを視ていた。
 どうやら、本店に食材を保冷しているようである。したがって、本店で注文すると、具入りの蒸篭を通りの蒸し器に、また、支店の場合は空の篭を本店にある具を詰めて、通りへという流れなのだろうと、蒸しあがるまでの時間を待っていた。当然、本店でもタイマーが所定時間になると報せてくれるから、あ、蒸しあがったなぁと、期待が膨らみ、舌やお腹(なか)もせっつく。

 「これ、サービスね」と、女将さんの指の先にある篭の中をみると、シュウマイに加え、蒸し餃子(草ではなく、蝦入り、半分に割ってみて分かった)が3ケ座していた。

 恩を仇で返すことはできない。

 シュウマイ3ケで十弐分なわたくしの腹具合を6ケ分に、また、生以外の(加熱された)エビが苦手であるわがままもギアチェンジして、すべて戴いた。

 もちろん、旨いしい。

 もちろん、また、行きたい。