五臓六腑

 焼き鳥屋さんで砂肝やレバーを好んでいただいたり、モツ煮もおいしく、酒の肴となるけれど、腎臓ですわと正面切られてしまうと、どうかなぁと想像してみた。焼肉屋さんには滅多と、行かないが、マメというのがあるそうで、ただし、食べた記憶はない。ひょっとしたら、↑モツ煮にも含まれていたのであろうか、ただ気がついていないだけのことかもしれない。名づけの過程を想像すると、面白い。インゲンマメ・ソラマメの一種をキドニービーン(ズ)というらしいが、キドニーは腎臓のことで、腎臓に似ているマメだからキドニー豆となった、で、転じて、焼肉側では、豆に似ているので、腎臓をマメといったらしいのであるが?これでは、どっちが鶏か卵か分からない。お互い(腎臓とマメ)が責任の所在を押しつけあっているような、遠慮しているような、そういう気がしてしまう。さて、ネットで腎臓の料理を調べてみたら、欧州では一般的であるらしいことを知った。そのうちのひとつに、「仔牛の腎臓とセップ茸のポワレ」というのがあった。セップ茸は西洋マツタケ、これを添えた腎臓を平鍋でじっくり、こんがり焼いていくのであろうか、そう思うだけで、想像ができないでいる。解剖図『風邪ひきの時の滋養』(pfaelzerweinさんのブログです)などと聞く(見る)と、余計にできず、香港や牧志市場(那覇)でみたポークフェイス以上に、わたくしの弱気の蟲が出てしまう。(..)
 五臓六腑に染み渡るとは呑ん兵衛の言い草でしかないけれど、考えてみれば、わたくしたちは、あらゆる生き物の五臓六腑のおかげで存している。換言すれば、彼らの犠牲の上に立っているわけであり、見た目はともかくも在り難く戴くことが当然のことなのであろう。しかし、やはり、と、後ずさりしている、わたくしである。