みちのくに

 10数年ぶりの雪らしい。その日、秋田に入った。お伴は菅江真澄。いつだったか、仙台の書店で目にした書籍を迷わず買い求め、以来、棚に収め、時々、気が向くと、ページを捲っていた程度のことであったけれど、久しぶりの「東北行」についてきていただいた。著者は田口昌樹氏、裏表紙を見ると、2,060円(本体2,000円)とあるから、ずいぶん前に買ったことになる。真澄の生地はいまだ不詳であるが、一般的には、わたくしが生まれ育った場所にほど近いことを知って以来、その名を冠したとも妄想できる川面を、彼が歩いたかもしれないという空想のもと、道端の石標や草花を覗きこんだように、今また、真澄が歩いただろう秋田の街を辿ろうとしたが、寒い寒いという原始的な思いばかりが先立って、とうてい、かなわなかった。前回、果たせなかった真澄の墓所にも行くことはできないで、短い滞在を了えてしまった。ただ、翌日、さらに雪深い乳頭温泉では素的なお話とお人柄にふれることもできた。いずれ、書こうとも思う。
乳頭温泉の深雪]
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 真澄が旅立ったのは松尾芭蕉のほぼ百年後のことであるが、芭蕉は象潟(きさかた)を訪れてはいるものの、それ以北には跡を残していないようである。そういう秋田という場所を真澄は、訪れ、生涯の地とした。未だ知られることのない国々、みちのくに。真澄という人物に、そして彼を通して知る秋田のことがらに、ただただ、無知なわたくしは圧倒されるばかりである。