非日常浴

 信州の山々から日本海に沿い、翌日は信越界(さかい)の山峠を経て、飯山・中野、いわゆる北信を訪ねた。これまでも何度かあるが、もちろん初めて伺う場所もいくつかある。飯山では新幹線の工事が進んでいて、今ある可愛らしい駅ではなく、少し長野寄りに移動した箇所に新幹線駅が取り付けられる予定である。現駅はどうなってしまうのだろうか。
 その後、中野市に。ここで「てるてる坊主」「シャボン玉」「アメフリ(♪ 雨 雨 ふれふれ かあさんが・・・)などの曲を作った中山晋平(なかやま しんぺい)が明治20(1887)年に、その11年前には「故郷(ふるさと〜♪ 兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川・・・)の詞を世に送り出した高野辰之(たかの たつゆき)が生まれている(明治9〜1876年)。今となっては、歌う場面も少なくなっていると思うが、小学校などでは少しは唱っているのであろうか。

 以下も晋平氏の曲のひとつである。

♪ 證 證 證城寺 (しょぅっ しょぅっ しょうじょうっじ)
♪ 證城寺の庭は
♪ ツン ツン 月夜だ
♪ みんな出て 来い来い来い
♪ 己等の友だちア
♪ ポンポコポンのポン  ・・・

 作詞は野口雨情(のぐち うじょう)、中山と高野の真ん中ぐらいである明治15(1882)年、茨城県北茨城市磯原に生まれている。中野市北茨城市姉妹都市の関係を結んでおり、ついでに書けば、滝廉太郎が少年期を過ごした大分県竹田(たけた)市もそうである。また、時を経て、久石譲さんも中野から。

 よく分からないが、ラップというのかヒップホップというのか、それらの調子でもって、耳に入ってくる 〜 ポンポコポン♪

 そのポンポコを冠した温泉に浸かってきた。正式名を「晋平の里 間山(まやま)温泉公園 ぽんぽこの湯」と謂う。

 露天風呂に出ると、北(露天風呂の右側)から妙高、黒姫、戸隠、飯縄(いいづな〜飯綱)、手前に斑尾山の北信五岳が望め、もっとも下方に中野市街のくらしの灯りが筋をなしている。もちろん、そういう状態が日常的にあるわけではなく、この日は手前の山と街の灯りを観ることは叶ったが、他四山は頂きを少しだけ覗かせてくれる程度であった。露天というのは何度か経験があるが、このような眼下眼上を眺めながらというのは仲々できないので、普段は外す眼鏡をかけたまま、お邪魔し、温景を娯(たの)しんだ。
 そこからは観ることはできないが、背地には白根山があり、湯田中、渋、志賀そして草津と日本の湯の真ん中がある。

 トルストイがそう云ったのか、あとになってシクロフスキーが理論づけたのかを忘れているが、日常が非日常化した時に芸術(文学)なり、(とは云われていないけれども)娯楽が生まれるという「オストラニェーニエ〜Остранение、異化とも」説がある。

 わたくしが眼鏡を着けたまま露天に跳びこんだのも嘗て日常であった自然が異化したからなのであろう。

 恵林寺〜拙ブロ;快川紹喜、夢窓国師(恵林寺・観庭)10年10月27日付〜のついでに寄った「ほったからしの湯」でも眼鏡同伴であったが、その数日前に?ポンポコ?と謂う非日常に晒されていたため、浴外に置いた。一瞬、自然が日常化してしまったらしい。
 ただ、湯上りにビールを呑んだ憩いの場がオープンエアで、夜空が逼(せま)ってきた。これは異化である。

 これまた空ろ覚えである。「非」というのは飛んでいる姿を表わしており、両翼の羽のバランスが悪いのが「非」であったと思う。どちらが日常で、非日常かは分からないが、このアンバランスの中に、わたくしもゐる。ただし、翔ぶことはないが。