NOマーチ

 山の麓の芽吹きが一ヶ月あまり早いと聞く。暖冬かどうかは判断できないが、季節が先を急いでいることは分かる。それは地球という生き物の寿命(余命)にかかわっている。もちろん、わたくしどもが大いにかかわっている。
 昨夜は台風並みの風で夜半に一度目が覚めた。外をみると、木々が左右に大きく揺れていて、今にも手折れそうであったが、今朝確かめてみると、やはり彼らは強い。
 夢の中でメイストームのことを想っていた。その名のとおり5月頃に日本海で発生する温帯低気圧による嵐、そして、悲劇である。
 小納正次さん著の『明治期の天売沖 二大漁船遭難事件』はそのことを追っており、亡くなられた方(多くは漁夫)への追悼である。少し長いが同著から明治期から昭和31年までの北海道漁船遭難事件を引用する。なお、原典は「新北海道史年表(昭和55年)とある。

▼明治14年5月18日(小樽近海、多数の漁夫遭難、死亡)
・明治22年9月7日(函館近海、漁船30隻覆没)※覆没;ふくぼつ
・明治26年2月23日(小樽、溺死40名余)
▼明治30年5月9日(枝幸村、溺死20名余)
・明治34年12月6日(高島・祝津沖、死者11名)
明治35年4月30日(天売島沖、溺死220名)
・明治36年10月29日(乙部村沖、泊村沖、行方不明21名)
・同11月28日(尻岸内村沖、溺死19名)
・明治41年3月8日(この日より大吹雪、各地に汽車不通、船舶家屋の損害・人畜の死傷多大。9・11・12日、同様大吹雪のため被害あり。
▼(著者注 天売島の鱈釣漁船遭難は11・12日被害に包含されている
(拙者注 溺死217名 〜 同著より)
・大正2年8月27日(釧路、行方不明10名)
▼大正4年4月29日(道西海岸に大陸颶風、溺死4名)※颶;つむじ
・大正5年1月24日(暴風雪全道を襲い、連絡線欠航、列車各所に不通、後志沿岸で漁船転覆し、死者行方不明160人余)
・大正11年9月23日(全道に大陸颶風、溺死16名)
▼大正12年4月7日(全道に大陸颶風、浦河で行方不明6名、余市で溺死13名)
・昭和8年11月17日(大陸颶風のため各地で漁船遭難、溺死行方不明者多数にのぼる)
・昭和20年11月9〜13日(寿都管内暴風により船舶遭難4件、死者行方不明者31名)
▼昭和26年4月21日(時化で漁船10隻遭難、行方不明26名)
・昭和30年2月21日(暴風雪による船舶遭難続出、消息不明15隻、行方不明147名)
▼昭和31年4月17日(全道沿岸地区に暴風雨、漁船遭難22隻、行方不明61名)
  
 以上20のうち▼を附した8つが「春の嵐」における惨事であり、中でも下線部を二大遭難事件として小納さんが詳しく記録に残そうと思われた。ただし、天売島の鱈釣漁船遭難はもしかしたら晩冬としたほうが良いのかもしれない。

 ひとつ加えておくと、昭和29年5月8〜10日の死者行方不明者361名という大きな被害となったメイストームがあるそうだ。(メイストームウェザーニューズのサイトより)この嵐がメイストームという名づけのもとになったという説を初めて知った。(livedoor天気情報より)

 同年9月26〜27日には洞爺丸台風もあった。

 冬の北海道は漁に出たくてもできない。漁夫らが波間に少し緩みをみて、逸ったというのは違うであろう。突然、天から降りてきたというしかないだろう。わたくしなら出ない(できない)、只今は情報があるからということではない、その覚悟がない。

 出かける際にお世話になっているウェザーニューズのはじまりは船乗りの命を守りたいである。いうまでもなく、船とは今となっては地球(宇宙)そのものだと断言しても差し支えはない。

 幸い本日、船はゆったりと揺られている。毎度で申し訳ないけれども、ブルーモーメント(青瞬)を撮った。

ブルモ100321

 それにしても、やはり、春嵐が早く来たのかと、昨夜は考えてしまった。

[小納正次さん;拙ブロ参照]

maYdaY(05年5月1日付)

May Stream〔×〕 ∩ Meryl Streep(05年5月16日付)