パソコンに憑く神(様)もゐらっしゃるのだろうか

 朝のうちに所沢へ。所用を終え、とにかく、駅近くの焼きだんご屋さんへ。もう、昼時を過ぎていたので、もしかすると売り切れ御免の憂き目に遭うのかと歩を急いでいると、向こうから一串手に持ったご婦人が。それが最後の一本かななどと焦りながら、どういうわけか迷わず地図どおりそのお店にたどり着いた。

 ?一本だけ、ください?

 なぜ、「だけ」をつけたのかは分からないが、本日の分がもう終わっていた場合を想定して、明日の分を一串だけ、お願いしますの意味であったのかもしれない。わがままな客である。
 幸い、まだ残っており、105円を支払うと、少し待っててくださいと、真っ白な丸生地の「だんご」さんを取り出して、その場で焼いてくださる。

[所澤伝統 名物 焼きだんご屋 つくもがみ]

所沢焼きだんご

 一串につき4ケである。なぜ、それを撮らないのかという疑問もあるだろうが、待ち切れずに2ケ食べた後の始末である。1ケごとが意外に大きく、おちょぼなお口にはよほど大口を晒さない限り1ケを分けて食べるのが無難である。先ほどのご婦人は人通りで口を空けるような方ではなく、どこかに隠れて、楽(旨)しんでいらっしゃるのであろう。頂いてきたチラシに文久時代に始まった所沢団子は明治期に組合ができるまでに発展し、品質保証の申し合わせがあり、そのひとつとして「一串4ケの上下は直径一寸(約3センチ)、中2ケは八分の真ん丸」と決められていたそうである。さらに、(こしらえた)だんごを積み上げても、お互いがくっ付きにくい工夫(中に隙間を設けている)だとも教えられた。

 わたくしはチョボでも、シトヤカでもないから、歩きだんごである。

 数分待つのが素的。

 隣の敷地なのか、芽吹きを進めている花や樹に眼を遣って、鼻と咽喉、舌などそれ以外の部位は、ご主人のお手元に集中する。

 お待たせしました、と、受け取り、早速、かじってみる。(旨)

 マーケットで売られている甘辛く、べったりとした味付けとは異なる、ホントウの焼きだんご。ただし、それはわたくしにとっての焼きだんごの想いでしかない。

 つくもがみとは付喪神(九十九髪)のことなのであろうか、そのことは数分の合い間にお聞きするのは憚った。

 おだんごは、わたくしどもが比較的気軽に食べることのできる衆人のおご馳走であるが、一方で、お供えをする習わしも残っていることから、やはり、憑き神様にも近いのだろうか。付喪様は日用している道具・器具に憑くとも謂われる。

 すでに4ケともに、わたくしのお腹の中に納まってしまったが、それぞれがこれまでお世話になってきた筆やパソやその他諸々に対するお礼だと勝手に決め込んでいる。

 ほぼ10年使ってきたパソもそろそろ神様のもとへ戻る頃でもある。

[ありがとうパソ]

ありがとうパソ

 月末、再びうかがうのが愉しみ。