白太夫様(大阪天満宮・のぞ記〜その2)

 白太夫(しらたゆう/しらだゆう/しらたいふ)というのは菅原道真公の誕生に深く関わった人物だそうで、伊勢神宮宮司である。菅原家には世継ぎが仲々できなかったようで、すがる想いで太夫のご祈祷を受けたのであろうか、たちまち阿呼(あこ)が生まれた。後の道真である。祖父から続く文章博士(もんじょうはかせ)の任を33歳で命じられ、以降、西遷する57歳まで学者として、政治家(むしろ官僚か)として長く就く。”生みの親”白太夫こと渡会(わたらい)春彦は生涯道真に仕えたという。伊勢市のお隣に度会郡度会町という山あいの町がある。もっとも、渡会町は合併の際に公募で決まった郡名を採った名なので、もとの渡会郡(ごおり)のどこかと考えたほうがよいのだろう、もしかしたら、その辺りに白太夫の祖がいたのかもしれない。ひょっとして渡会≒渡来とするには無理があろうか、ただ、菅原氏の祖は土師氏で、その可能性を否定もできない。
 わたくしが長く育った町にもワタライさんがいて、お肉屋さんを営んでいた。そこで、揚げたてのコロッケを「買い食い」していた。1ケ5円か10円であったと思う。

 ただし、松本春彦とする説もある。高知市大津にある白太夫神社(しらだゆうじんじゃ)は父道真とともに都を追われた高視(たかみ)のゐる土佐へ父の死を知らせるため白太夫は向かい、無事遺言と遺品を渡すことができたが、帰途、斃れたのが大津村雲門寺であったという。79歳というから長旅が堪(こた)えたとしか書きようがない。(高知新聞大津販売所/大津の歴史〜下元 正清著「大津の歴史−はばたけ大津2−」)道真は59歳歿だったというから、白太夫とはほぼ20も歳が違う、つまり、お伊勢さんで誕生祈願をした頃はほんとうに若造だったということで、菅原家も神宮もほとほと困った末のことだったのか。それとも白太夫にはそれだけの力が備わっていたと思われていたのだろうか。とにかく、以来、二人は最期まで運命をともにする。
 
 拙ブロ、梅田・朝ぼら記〜お旅社09年9月29日付で西に遷る道真が喜多埜(現在の梅田辺り)で白太夫の孫ら一族を留め置いたと記したが、この際、白太夫本人は随っていたのであろうか。とすれば、一族とここ(お旅社)で別れたのであろうか。お旅社で頂いた社報にあわせ綱敷天神社のサイトを参考にすると、どうも、そのようである。ついでに記せば、残ったのは子の春茂という記述もみつけた。
 現在の禰宜様の姓が白江さんであるとも。
 
 以上には白太夫が道真に随ったという前提がある。

 大宰府天満宮に「飛梅」にまつわる伝説がその梅とともに残っている(大宰府天満宮サイト)。「東風(こち)吹かば・・・」は道真の有名な詩(うた)であるが、やはり彼は相当の梅好きであったらしい。西に配流される際、愛でていた梅を持参することもできず、気にかけていたが、ある日、その想いが通じてか、都より飛来したという。ところが、実際には都にとどまった白太夫が道真より預かった梅の様子がおかしいのをみて、主(あるじ)を案じ、梅を抱えて大宰府に向かったとする説がある。(風に吹かれて白太夫と飛梅伝説
 
 こちらの方がわたくしの白太夫像に合う。わたくしが高校生の頃、ひとつ上の男子生徒に美事な全白髪の方がいらした。顔をよく見ると、若造であるが、遠目にみれば白太夫である。思慮深く、物腰の柔らかい上級生で、より若造のわたくしにも優しかった。その印象が春彦(彼も若くして白髪頭であったから、その名〜白太夫〜が付けられたという)に重なっている。普通に考えれば、謂われなき流罪に消沈する道真のもとにゐるのが主従の関係であろう。しかし、あえて、都に残り、主を慕い、案ずる心身の立ち処のほうが彼には相応しいと勝手に決めつけている。今とは異なり、メールもなく、お互いにとってつらい遠距離恋愛である。梅を言い訳にして向かった白太夫といい、そのことを照れ隠し、梅が勝手に飛んできたと周りに吹いて回った道真といい、ほのかに漂う梅の香のように繊細で、愛らしい。
 もちろん、そのようなことではなくて、二人が会うことは藤原側にきつく禁じられていた状態での危険な逢瀬であったと上記サイト(風に吹かれて)から想像がつく。
 
 大阪天満宮の西門横に白太夫社がある。由緒板を覗くと白太夫大宰府で仕えたと書かれている。そのことは、もう、どうでもよい。説はさまざまであってこそ悦ばしい。

大阪天満宮の白太夫社]

白太夫社画像0037  白太夫社画像0035

 以下は、その社前で見つけた石碑である。左側に「道修町御湯講」とある。

道修町薬種商による奉納碑?]

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 梅雨明けの7月中旬、天神祭の季節である。講社と呼ばれる衆による船渡御が始まると、祭は最高潮を迎えるそうである。

 話が反れた。次は、このことについて、記す。