八・・・末広町

 縁起の良い名づけである。千代田区のサイトによれば、
末広町が誕生したのは、上野戦争の翌年、明治二(1869)年のことです。とくに神田界隈では、戦闘に巻き込まれ家族や屋敷を失った町民も少なくありませんでした。末広というおめでたい名前には、『これからは、末広がりで町が平和に繁栄しますように』という、町民の切実な祈りが込められていたのかもしれません。」
 とあり、比較的新しい町であるらしい。ただ、短命で、1961(昭和39)年12月1日に千代田区で最初の住居表示変更の憂き目に遭い、失われた。今は外神田三丁目という何とも味気ない名である。外神田四丁目はもっと哀しくて、神田相生町、神田田代町神田練塀町、神田花田町、神田松富町、神田山本町の各町が呑み込まれている。(千代田区新旧町名対照表より)
 もっとも、練塀町はわずかに残っており、人口は267人、相生町も住所として存在しているが、無居(人口ゼロ)である。(千代田区町丁別世帯数および人口住民基本台帳):平成21年9月1日現在)
 神田台所町(現;外神田二丁目)はもうないが、神田北乗物町(人口97人)、神田佐久間河岸(同58人)など健在であるのがうれしい。練塀町については以前拙HPに記した(現在は閉鎖中)が、いつまでも残っていてほしいと切に願っている。

 さて、その辺りであろうか、うろうろしている中で撮った画像を放出する。

[東京琉球泡盛輸入]

 なんといってもその物謂いが頼もしい。よほど、入ろうかと迷ったけれども、一升瓶を抱えて帰るだけの覚悟がなかった。といって、四合瓶をとも思わなかったので、いずれ、また、と失礼をした。

泡盛輸入標画像0029  泡盛輸入ケース画像0028  泡盛輸入画像0031

[もしかしたら毎日がお休みになるのだろうか?]

 メトロ末広町駅交叉点を少し蔵前橋通りを西へ向かった場所で。その日(9/14)は月曜日なので
定休日ではある。わたくし事で申し訳ないが、出来れば、人間不出来のため、本日お休みにと、いつでも思っているので、共感を覚えたため、記念写真を。ガムテープ?で隠されている部分はやはり気になる。左の字間(日曜日と祝 日)から想像すると第○月曜日か?毎週はないであろう。であれば、月曜日だけでよい。ただし、最後の行(および・・・の左)は分からない。

閉じたラーメン屋末広町画像0038  閉じたラーメン屋末広案内画像0037

[丼屋]

 鉄火丼とまぶし丼。あいにく、食欲もなかったので、記念写真だけでΩ。

裏道定食屋画像0035

 この先、妻恋神社に向かう。その通りすがりのことである。

 ついでだが、末広町8の8の8を探してみた。なかったけれども8の8はいくつかあった。函館、富良野能代、桐生、新潟、高岡、魚津、津、四日市、大津、宇部、北九州(八幡)、別府などである。近いうちに、そのうちの一ヶ所を訪ねようかと耽っている。

 末広がりに不出来なわたくしである。