湯島神社、浮き足記

 湯島神社(只今は湯島天神天満宮)へはこれと謂う理由もないのでこれまで伺ったことはない。天満宮は菅公(菅原道真)を祀る社として全国に1万以上あるとも。詳しいことは分からないが、神社全体で8万社(宗教統計調査文化庁文化部宗務課)だそうだから、8つも廻ればひとつは天神(テンジン)様ということになる。冬というのか初春、梅の頃、合格祈願をされる受験生の姿が歳時記のようになっているので、お馴染みであるが、詣でた方の合格率は定かではない。京都・妙心寺を訪ねた際に(拙ブロ:妙心寺/09年2月19日付)、お寺というのは大学である(おそらく、司馬遼太郎さんの著書の中にあった)ということを考えながら歩いていたが、神社を歩いていると、百貨店のような雰囲気を感じていて、いくつもの有名ブランド(お稲荷さんやらお不動さんやら)が共祀されている。もちろん、お寺にもテナント(分社)はあるが、上記の「お寺≒大学」というのは禅寺を主に指している。(このことは別項でいずれ)
 湯島社はというと笹塚稲荷と戸隠神社が祀られているが、前者についてはよく分からない、後者は蕎麦のイメージが最初に湧くが、湯島を訪れるきっかけである秋葉原のもとになった秋葉(あきは)神社と同じく天狗さまがゐらっしゃる。もともと、こちらさんが先に祀られていたらしい。同社のサイトによると創建は458年とあり、菅公はそれより400年後のことである。(湯島天満宮縁起
 戸隠で修験した三尺坊は200キロを南下して、春野に跳んだ。もっとも新潟県栃尾秋葉三尺坊大権現もあり、異説を唱えているが、拙ブロ(北上野・松が谷08年5月17日付)の中にある記事(栃尾観光協会秋葉三尺坊発祥の地 栃尾【1】大岡裁きと秋葉三尺坊)はもう無くなっていて、どうしたものかと案じている。替わりにというのか、栃尾観光協会のサイト(http://tochiokankou.jp/feature.html)に秋葉信仰の二大霊山の一山として・・・という些(いささ)かトーンダウンした案内を見つけた。どうなのであろうか、栃尾は長岡、戸隠は長野、春野は浜松にそれぞれ呑みこまれているから、以前詳しくあったサイトも徐々に合理化・省略化されていく動きが気になる。長岡の人は栃尾を、長野の人は戸隠を、また、浜松の人は春野のことを、わたくしどものような外にいる人間と同じように、その存在を忘れていくことに、置き去りすることに、この先なっていくのであろうか。地方分権という流行り言葉があるが、市町村の合併という無茶なことでもって、そもそも地方が地方でなくなっていて、小さなことが失われつつあり、地方集権(地方の中で比較的「力」をもつ市などが周りを呑みこむ)という厄介なことが起きている。本日は関係のないことなので以降は省く。 
 
 戸隠にせよ、秋葉にせよ、火伏せ(防火)を祈った。おそらくではあるが、湯島の戸隠社もその意味合いがあったのであろう。振袖火事(明暦の大火)は江戸を焼き尽くしたが、湯島社も例外ではなかった。この際、妻恋神社(拙ブロ:AKIBAからYUSHIMAへ/09年9月14日付)は湯島神社南東付近から現在地に遷った。(妻恋神社サイトより)もっとも、湯島社はそれから約(およ)そ50年後に全焼の憂き目に遭う。水戸様火事(小石川の水戸邸が火元)ともいわれる元禄16(1703)年の火災である。余談になるが江戸は火事によって、町が展(ひろ)がった要素もあり、いわば、「焼け肥り」である。(焼き出されたり、亡くなられた方には、たいへん申し訳ない物謂いであるがΩ)

 お社と百貨店の話をしている。上記、分社もテナントの一形態であるが、これとは別に広告塔(看板)といえば良いのか、○凹の碑という名目でもって、間借りしている場合がある。

[都々逸之碑]

 柳橋か、向島か、あの辺りを歩いていると聞こえてきそうである。リンク切れする可能性もあるが、読売新聞関西発(YOMIURI ONLINE)の「鈴木美智子の都々逸オンライン」へ。都々逸とは、が、分かる。

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[老友新聞]

 建立者の最後に銘打(刻)ってあった。老友新聞社という名を初めて知った。全国版の高齢者向け新聞というのはおそらく日本老友新聞だけであろう。

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[講談高座発祥の地(碑)]※湯島社サイトの案内

 講談社というのはココ(講談)から創(はじま)ったというのも知らなかった。1911(明治44)年、講談倶楽部を創刊、講談社を興す。なお、前身の大日本雄弁会から数えて今年100年目ということでもある。(講談社の歴史/同社サイトより)

 こちらは講談(講釈)師さんのサイト⇒講談協会オフィシャルウェブサイト

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[新派の碑]※湯島社サイトの案内

 新派の舞台を観たことはないが、何人かの俳優さんのお名前程度は。(劇団新派のサイト)

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[努力の碑]

 アンバランスで見ていてハラハラするような碑組が目に入った。崩れないように三本の石柱が努力しあっている。同社のサイトをみて、これが王貞治さんにまつわることを知った。※湯島社サイトの案内

努力!画像0048

 湯島社には他にも広告塔(?)がある。同社の境内案内図でどうぞ。

 最初に記したが神社に伺う理由はないが、おまけのような、百貨店を冷やかすような娯(たの)しみもあって目につくと、ついつい寄ってしまう。

 この二日後(16日)、大阪へと向かうが、やはり、ツイツイの虫が湧いてきた。