瀛津島

 琵琶湖というのは今から400万年前に現れて、存続している世界でも数少ない「古代湖」だそうである。バイカル湖カスピ海などがそうで、通常の湖というのは10万年程度の短命でしかないらしい。
 琵琶湖においての10万年前は只今の姿とほぼ同形であったらしく、沖島もこの頃に生まれたという。
 漁協事務所内でぼけっとしながら、待っていた帰り船の中で、買い求めてきた一冊の書を開いていた。
 『沖島物語』(西居正吉さん著)である。
 10数分の船旅であるから、読むというより眺める程度であったが、

  「瀛津(おきつ)島」とあった。

 瀛には見覚えがある。拙ブロ三山(07年5月5日付)に戻ると、そこに、蓬莱、方丈、瀛(えい)州とあり、『史記』などの記述の中にある。いずれも神仙な山で、不老長寿の秘薬があり、少し、省くが、秦の始皇帝と徐福にまつわる想いにつながっていく。琵琶湖には三つの島があると記した、それを勝手に三山と重ねても構わないであろう。

 島の最高峰を蓬莱山(225メートル)と謂う。

 わたくしがここ(沖島)にゐる理由を記しておく必要はあるのだろうか。

 沖島に定住者が認められるのは12世紀半ばのこととある。これは、島を訪ねる前日に社団法人近江八幡観光物産協会のサイトで知った(沖島/歴史)。それ以前にも島と陸との往来はあったらしいが、今もその子孫の多くが住んでいらっしゃるという七衆が最初といわれる。
 前著、沖島物語には祖人と記されている。以下、引いてみると、
 保元平治の乱(あるいは宇治川の戦いとも)に敗れた源氏方の七人(ミナモト、オガワ、キタ、ナカムラ、チャタニ、ニシイ、ヒサダ)が寄り着いた、と。沖島物語には「神の島に暮らして」という副題があって、もちろん、著者の西居(ニシイ)さんも祖人の流れにある。
 そして、わたくしと沖島を結びつけるものは何もなく、また、あるとも思わないし、島に向かった理由(わけ)の欠片にもなっていないが、小さなきっかけにはなっている。したがって、それについて、あれこれ詮索していたわけではない。ただし、表札を探して、他所様の土地を侵していたのも事実である。

外来種のヒサダもオミット(シガケン)]

外来魚に画像0209

 もう一度、訪ねて、もう少し、まどろんでいたい。