夜、寝ることができない、
ただし、かわりに他の時間帯で、しっかり補充している(したがって、夜起きているだけのことかもしれない)。近頃は沈む方も遅いが、昇るのも早い。お天道さまのことである。
先週、お日さまに恵まれて、近江八幡(おうみはちまん)を訪ねた。ここへは、一度と、前々から想っていたが、ようやく実現した。この日(2日)、所用を終えた岡山市の隣には倉敷という美観の街がある。何度も訪ねており、その素的さは諒承している。京の都より鉄道で30分ほど東下した八幡もまた、そのような佇まいであることを承知している。以前、うかがった徳島県(阿波国)の脇町もそのような香りを放っていた。拙ブロ、うだつ(〓・卯建)〜05年月12日付。
さて、八幡である。豊臣秀吉の甥(姉;日秀〜とも〜の子、秀吉の養子となる)にあたる秀次が築いたお城を囲むお堀(八幡堀)辺りが観光スポットになっている。信長が築いた安土城を再現したとも謂われ、本来、衛(まもり)であるはずのお堀を開放し、それがもととなり、のちに近江商人が世界を駆けぬけた。秀吉のあとを継ぎ関白となるが、秀頼(秀吉の嫡子〜茶々との子とされる)の誕生をきっかけに、自害へと追い込まれる。
以上は社団法人近江八幡観光物産協会の請売りである(歴史を楽しむ−豊臣秀次)。ついでに記せば、同協会のサイトには新町通りあたりにはまだ「うだつ」があるとあったが、あいにく、気づくことがなかった。それすら見落とすほどの街の美しさであり、その通りの素晴らしさに魅惚(みと)れていた。
[八幡堀の舟景]
[新町通り]
それを何と表わせば良いのであろうか、旧家、商家以外の一般家屋にも気が入(はい)っている。同市独自の伝統的風景計画(〜歴史・文化の積み重ねとして引き継がれてきた、いぶし銀に輝く品格ある風景(まち)を人々の心の姿とともに継承する〜)などで仕切られているとはいえ、市民の「いぶし銀」の科(しな)を感じ取ることができる。
[こちらもいぶし銀級]
八幡を訪れた目的はもう一つあった。実は、所用に出かける前に支度をしていて、あるところへ電話を入れていた。
近江兄弟社あるいはメンソレータム(現在、兄弟社はメンタームを製造、販売している)の名を聞いたことのある方も少なくないと思うが、その始祖の中心にウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏がゐた。合衆国カンザス州生まれの氏は布教のため同市に着任し、兄弟社はじめ、産業、教育、社会事業などに尽力された方である。そのお住まい(現地の案内には従業員の住宅であったという中(あ)てにならない記憶がある)が記念館となっていて、内部を観るには予約が必要とあり、電話となった。
「・・・あのぉ、4月3日なんですが、」
と、申し訳なさそうに、
「来週はお休みにさせてもらっているんですよ」
よく聞くと、間が悪いことに、4日から東京で開催される展覧会のために人手が必要だそうで、コチラ(本家)は臨時休館ということである。
[ヴォーリズ記念館]※中に入りたかった・・・
⇒ ウィリアム・メレル・ヴォーリズ 恵みの居場所をつくる(パナソニック電工汐留ミュージアム )
こういうことはある。わたくしの中では本家を見づに出店を先に覘いた妙心寺(09年2月19日付)そして、三度ともお店が閉っていたまめやさん(07年8月23日付)である。
汐留の会期は長い(6月21日まで)ので、こちらへもと想っている。
秀次によった礎が、ヴォーリズにより固められて、只今の八幡がある、そういう想いになって、いずれ、再訪したいと、短い滞在を終えた。
ただし、急遽、訪れることになったのが、「ヲきの島」(拙ブロ4月3日付)である。
それについては、また。