四分六(しぶろく)

 気がつけば、世の中は三連休である。わたくしはというとほぼ関係はない。と記せば、なんとなく、なんとなくであるが、要するに世の中にも世の外にもあまり関わりのない体たらくであるということである。ただし、普段も少ない電話などが全くなく、それでもって、通常の土日でなくプラスアルファの連休だということが実感できて、明日(24日)も世間は休みなんだねという確認ができている。
 標題の四分六は水割りの尺度ではない。以上の休みとそうでない日との割合を示している。少し前には、「月月火水木金金」という表現及び唱(うた)もあって、軍人さんやお父さんたちはお休み(土日)もなく、エコノミックアニマルといわれた時代まで、それは続いた。城山三郎さんは『毎日が日曜日』をお書きになられたけれども、以降、土日をお休みとする場合が多くなり、只今でいえば、毎日が土日曜日とあらわす必要もあるし、さらにいえば、日曜日より、翌日もお休みである土曜日を象徴として示すべきかもしれない。また、ハナ金ではなく、ハナ木(土日を休養日あるいは個人・家族的時間に充てたいため、金夜は早く帰りたい、そのかわり、木夜は呑もうねのような)にもなっており、休日の代表選手であった日曜日はその座を失ないつつあって、「あしたはもう月曜日かぁ〜」と、疎まれる存在になっているのかもしれない。もっとも、ハナ木自体の表現も、もう古く、だから、ということではないけれども、いっそのこと、と標題に戻り、三日お休み、残りを(ちょっと)労働するのではどうだろうかという想いがある。それでは、生産性が低下するという、あるいは、給与体系が変わり、これまた低下(減額)するという月々的ご意見もあるとは思うけれども、いずれにしても、需要(消費)に対して、生産力は余剰傾向にあるのだから、無視したい。
 なによりも、お休みしたい、と思う。拙い頭で計算すると、一年のうち40%ぐらいは「お休みになる」、そういう世の中(外)になってほしい、と、実は願っている。
 おやすみなさい