引き揚げ

 前回、引き揚げ港についてふれたので、少し、調べてみた。検索(引き揚げ港)で最初のサイトにあった。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/というのであるが、それ以上が分からない。ただし、興味深い。どうも社会実情データというらしい。そこに『主な引き揚げ港』があった。博多と佐世保にそれぞれ139万人の方、舞鶴は66万人で、田辺(文里)は22万人とある。仙崎というのは山口県長門市にあるらしい。あいにく、田辺市の資料館は訪ねていない。機会を見つけてと思っている。
 貴重統計書というサイトをみつけ、読んでいる。その中の、『ソ連引揚者の体力 (舞鶴檢疫所報〜引揚援護廳編)』(国立保健医療科学院/所蔵貴重書)を開いている。まだ、始めたばかりなので、詳らかなことを書くことはできないが、収容所の様子が記録されていて、例えば、コムソモリスク収容所の山崎勝郎(?)さんは1人当り2?と答えており、畳一枚ちょっとである、狭いというしか、生チョロなわたくしにはあらわしようがないけれども、セミノフカの川口幹夫さんは3×5?に75人、上下二段とあるが、1人0.5?以下、畳三分の一では、おそらく寝転ぶことも、眠ることもできなかったであろう。タイセツト(個人名の記述なし)の63?に3,000人というのは本当なのであろうか。

 やはり、そうなのであろう。

 収容所〜ラーゲリについては、わたくしにはソルジェニーツィン氏の著作あるいは地下室の手記などで想像する以外は、叱られて押入に閉じ込められていた記憶を頼りにするしかない。もちろん、そのような考えは収容された人たちの苦い苦しみを、わたくしという、とても狭い収容所に押し込めるようなもので、あってはならないことである。

 引き続き、前書(ソ連引揚者の体力)を読んでみることにする。