北緯33度

 田辺(たなべ)と聞くと、日本海に面した舞鶴市が重なるが、ここではおよそ気候の異なる紀伊田辺についてである。今、北緯33度あたりを眺めている。例えば、地球全体で申せばベイルートカサブランカアトランタなどがそれにあたるが、腰周り(東西の幅)が細いくせに中央あたりでツンと北側に向けて、おすまししているものだから(もちろんフォッサマグナによるものであるが)、日本列島には意外に少ない(この緯線上は大洋がドンと座していることもあって地球上においても比較的少ない)。地図上を検めてみると九州北部、都市名で標せば大分市大牟田市あたりまでが含まれている(とうぜんながら博多、小倉も)。四国は香川を除く大部分が入っていて「33度の島」である。本州はというと下関、防府など申し訳程度に酌みしている、しかし、歴史的には重い部類の両都市でもある。
 紀伊田辺を訪ねたのは9月25日のことである(拙ブロ;紀伊田辺)。紀伊半島のこのあたりも33度地帯である。ついでにいえば、洋上に浮かぶ八丈島も仲間である。また、土佐の高知は33度33分33秒とさらに細かく、また、ご丁寧なことに東経133度33分33秒でもあるそうだ。(地球33番地公式サイトより)
 わずか一夜の滞在であったけれども、さんざん呑んだのち(最後は焼酎の梅わりにいきついた)に、宿に戻って部屋から、見えないのは分かりきっているが、対岸の阿南を見すえていた。地球地図を見ていると、ココとソッチをくっ付けたい気分に陥ることがないだろうか。例えば、アフリカ大陸と南米大陸、例えばオセアニア(オーストラリア)大陸をアラビア海に、あるいはグリーンランド大陸をハドソン湾に、地球学的にはどうなのであろうか、もともとくっ付いていたという説もあったように思う。ないのであれば、無理にでも、コニシのボンドで接着させてみたい。
 淡路島をみていると、琵琶湖に放り込みたい気もちにもなる。北側が持つのに良い具合の形をしている。同じような(乱暴かつ失礼な)ことを田辺と阿南でしている。鳴門から徳島を経て、阿南までの海岸線がどうにか御坊〜田辺〜白浜間に押し込めそうである。

 「南海道に上下なし」

 司馬遼太郎氏の「街道をゆく秋田県散歩・飛騨紀行」の一節である。菅江真澄のことについて、考えているうちに、以前読んで、仕舞ったままの同書をかつぎ出して、この旅に偶然持ちあわせていた。五畿七道のひとつである南海道といわれるのは紀伊、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐の六州(国)である。

 『秋田県は人間の秩序感覚に折り目があって、上下の礼儀や主客の折り筋がきっちりしているのである』(以上、前書より)

 に比して、南海道はというのが前記「上下」のことである。どちらが良いとかどうだの話ではない、要するに、南海の者がそうだという「事実」があるだけのことである。個人的な話で数年前になるだろうか、初めて阿南市という街を訪れた際に、ここと徳島(市)はまったくチガウと感じ、むしろその先の土佐に似た気風にふれて、今もなお、機会を見つけては訪れているけれども、同じ匂いを田辺にも嗅ぎつけた、というと大げさであるが、双方をくっつけるために、無理をしている。正確さを求めれば、徳島市は34度で阿南市は33度、同じことが和歌山市田辺市の間にもあり、さらに徳島(渭津〜いのつ)藩と阿南(もとは、長国〜那賀川が境といわれる)の関係もあいまいで、一方、紀州藩はめっぽう有名であるが、その支藩である(紀伊田辺藩はあまり知られていないし、わたくしも知らない。実直な性格であったことから、あの家康が認めたという安藤直次が幼児期から紀州藩主になるまで育て上げた頼宣(いわゆる御三家のひとつである紀州家の祖、家康の十男)が和歌山に入城する際、掛川から駆けつけて、田辺を受領する。ご一新の際に名目的に藩に成り上がったが、実質的にはお殿様のお目付け役(附け家老職)で、お城はオマケのようなものであったらしいから、やはり、あいまいな、お国関係、阿南(長の国)も難治の国のひとつであったが、田辺もそういう状態にあって、上も下もなく、お気楽に暮らしていたのではないかと、うらやましい気もちでもって想像している。しいて、あらわせば、いずれもアウトロウな国であったと考えている。

 わたくし的には西海道も加えて「上下なし」でも良いかとも思うけれど、南限はやはり豊かの州まであろうか。肥(後)や日や薩はまた異なる緯度(32度線)にあるような気もちもある。ただし、頼宣の正室は清正の娘と聞くと、肥州も全て包括してみたい気もする。整理すると、紀伊、淡路、阿波、讃岐((正確には外れるが)、伊予、土佐に加えて、長州、豊州、肥州をもって、三十三度州と想うと、なんだか、わくわくしてくる。

 残念ながら、わたくしは34(三十四)度生まれである。

 紀州といえば、今、旬の家茂ではなく、梅に蜜柑である。

[蜜柑]有田(ありた)ではなく、有田(ありだ)である
田辺の蜜柑

[梅]※たしか28万円とあった(間違っているかもしれないが)
田辺の梅28万円?

南紀白浜空港東京国際空港との間で日に3便(増減便時季もある)]
白浜空港

 なんだかブロ書きのお仕舞いにはこういうことになっていた。

[33度で25度を呑む]

 肥前麦焼酎紀州の梅(ハチミツ漬)と阿州のスダチを入れてみる。介添え人は琉球Goyaくん(サンタさんから独り立ちできた)。

紀阿肥+琉

 舞鶴港には大陸から引き揚げられた方が大勢いらしたと、その地を訪れた際の碑で確認した。
 今回、田辺市在の文里(もり)という明媚な場所に立ってゐた。
 もうひとつの引き揚げ港であったと、あとで知った。