彼岸花

 秋田県中南部の大曲(合併して現在は大仙市)で毎年夏の後半に行なわれている「全国花火競技大会」は以前、一度だけ、TV映像を通して観たことがある。今夏もやはり画面の向こう側をコッチから観照してみようと思った。3時間近くの長丁場であったけれども、少しも飽きない、もちろん、観照など、とても敵うはずもない。競技は十号割物(課題と自由の二発)及び創造花火の二部門で競われ、水戸市の野村花火工業が二冠と最優秀賞を二年連続獲得した。もう、流れているのか分からないけれども、麒麟麦酒の「端麗・生」テレビCFでその優(幽)美なお姿を観ることができた。別に「昼花火」の競技もあり、素人にはなんだか分からないが、どうも「火(光)」を見るのではなく、煙を愛でるものらしい。こちらは静岡県の三遠煙火(花火というのは俗称?で、煙火が従来からの呼称らしい)さんが優勝された。昨年しばらく通った袋井市の大会にも出ていらっしゃる。花火を名乗っている野村さんも出られていて、ここでも優勝されている。
全国花火競技大会「大曲の花火」(大曲商工会議所)
ふくろい遠州の花火(同実行委員会)
 TVをみていると、解説もあって、花火の観方も教わった。いくつかあって、第一に「玉の座り」といわれ、打ち上げられた花火が天空を昇り切って、重力でもって落下するまでの一瞬にある静止状態で開くのが良いとされている。さらに、煌(きら)びやかに開いた一つ一つを星(保志)といい、それらの集合体である球形が真円に近いものが最高の「盆」と賞される。そして、お行儀よく飛散した☆がぱっと開いて盆を玉なして、ぱっと散る、その消え際が美事な様を「消え口がそろう」と表わし、最上級の花火だとされる。まるで、桜の散りぎわのような独特の評価法である。ただし、今大会で優秀賞にも輝いた小松煙火工業(在、大曲)の「時差式発光体」は上記の愛で方を少し忘れてみると楽しい。(花火の観方は筑後屋花火工業所HPを参照した)※より詳細な解説は、日本の花火〜JAPANESE FIREWORKS HOMEPAGEの「花火鑑賞のポイント」でどうぞ。
 今夜からパラリンピックが始まる。その前の五輪はほとんど見なかった。過去、何回のいずれも見ていない。興味がないからであるけれども、その理由は、拙ブロ(小山さん;05年5月14日付)で記したとおりである。正式種目である飛込は他の競技ほどの扱いはされないが、わたくしには特別の想いがあった。
 花火がそうであるように、飛び込みも消え口が重要である。わずか1〜2秒の間に水中へと体ごと沈めるが、その際、立つはずの水しぶきを鎮めるかどうかが採点基準の大きな要素となる。小山俊治(こやま としはる)さんは、完璧な中国の選手に対しても、「でも、(足)右小指が少し離れていたのが、惜しいですねぇ」と、丁寧に隙を指摘されていらした。そう聴かされると、次の演者の足先が気になる、消え口の揃いを感じとろうとする。その解説をもう聴くことができない(02年4月22日逝去された)と知ったとき、わたくしにとっての五輪は終わっていた。
 
 彼岸花(別名;曼珠沙華〜まんじゅしゃげ)は「っつぅっ」と一本気な茎がまるで打ち上げられる花火のように真っ直ぐ伸びて、しっかりとした玉の座と盆を天上に向かって咲かせている(まんじゅしゃげには、そのような意味〜天上の花〜もあるという)。花言葉の一つに「過ぎ去った日々」というのがあるらしい、もしも、そうだとしたら、今、現実に目の前にあるはずのこの花は幻想であって、それが見えているようでは、過去をぐずぐずと想っているような「消え口」の悪さを引きずっているということなのであろうか。花火はそうした引きずりの悪さをも帳消しにしてくれる力があって、皆の心に沁みているのかもしれない。もっとも、数日間で枯れる彼岸花も消え口の揃いは秀逸である。
山麓の園芸店で]
彼岸花1
 今夕は諏訪で花火競技大会が催されているはずである。湖上に野村さん、小松さん、三遠さんはじめ、大曲での衆らが「座・盆・消」を二たび魅せているのであろう。
 さて、小山さんであったなら、小松さんの時間差をどう愛でて(評して)いらしただろうか。