横浜北方漁業
わたくしは”甚だの”勘違いを(また)していた。
1日に訪ねた本牧十二天にある横浜北方漁業協同組合記念碑のことである。
以前、電子地図上に見つけて、どうしても行きたくなり、今回実現した。ちょっとした木陰の公園になっていて、この日はなかったものの潮風が気持ちよさそうである。ただ、園内にはごみが散乱していて、到底管理されているとは思えない状態にあった。少し、飛躍するけれども、全国各地には記念碑に類する建立物があるが、それぞれ志をもって建てられた経緯があるものの、志は継がれることなく、数多くの碑が棄てられていく、そういう想いを、此処でも抱いてしまった。もちろん、勝手な想像であり、今でも碑の志を受け、管理をされているのかもしれないが、少なくとも公園内の様子からはその気配を感じることができない。
横浜市の統計サイトによると、同市の漁業は細々と続けられているとある。
年次/経営体数/従事者数(※漁業センサスによる)
78(昭和53)年/238/468
83(58)年/244/467
88(63)年/192/475
93(平成5)年/191/321
98(10)年/211/386
03(15)年/194/344
区別では金沢区(110/202)がもっとも多く、中・西区ではわずか18/34にすぎない。「神奈川農林水産統計年報」による最新(06年)データでは経営体数は163(金沢区89、中区16、西区1)とあり、さらに減少している。88⇒93年に従事者が激減しているのは、ちょうどこの頃に「みなとみらい21」が本格的に始動したことと関係があるのかもしれない。
漁獲・収獲量(高)をみると、昭和の時代には「かつお一本釣」「遠洋かつお・まぐろまき網」といった威勢の良さもみられたが、平成に入って、さっぱりで、わずかに板のり養殖と牧前アナゴなどで成り立っている。
以前に本牧を訪ねようと想った際に、サイトで「笹 加工直売所」という食堂のことを知った。ここの名物がアナゴ天丼で、残念ながら、本年5月末で閉店となったけれども、漁港の突先まで行くと、潮の香りが薄っすらと漂い、それだけで満腹感を味わうことができる。
[本牧漁港]※この一角に「笹」さんはあった(建物は閉店の貼り紙とともに残っている)
[原油高騰の影響はどうなのであろう]
[上屋群]※この辺りにも牧前の海(港)の幸を食べることのできる食堂がある(行っていないけど)
※日産の自動車もここら辺りから輸出されるので、牧前なのであろう。
ずいぶん寄り道した。北方漁業に関して、わたくしが犯した勘違いについて書きたかった。当初、わたくしは、これ(北方)を「ほっぽう」と思い込んでいた。本牧の埋め立てが始まったのは1963(昭和38)年、東京オリンピックの前年であるという。高度成長期の一端を担うためであろう。それ以前は港ではなく、魚港(ぎょこう)であったと断言できる。ただ、わたくしは、港と思い違いしていた、ここ(記念碑辺り〜本牧)から遥か北洋に鯨でも追いに漁師さんたちが出ていたのかという妄想を描いていた。
この間違いは、別の場所を知って、気づいた。
「ほっぽう」ではなく、「きたがた」であった。
潮の風を浴びたあと、本牧の軍艦のような団地群を抜け、本牧通りへと向かった。実は、また、迷った。そのことは、次の機会に。
明日は、パソコンを物色しに、出かけたいと思っている。持ち運び用なので、軽くて、駆動時間(マックでコンセントを借りないでも済むような)が長いものを所望しているので、おおむね心は決まっている。できれば、ソッチで、この続きを記してみたい。
[お詫び]
昨日の拙ブロに、Goodnews.Sunnydayさんからトラックバックを戴いたのですが、試みたもののトラバもコメントもお返しできませんでした。ふつつかで申し訳ありません。ありがとうございます。