蔵前四丁目・タイガービル

 榧寺(かやでら)横の狭い脇道をほぼ南下すると蔵前神社にいたる。神社の手前、お寺の向こう隣にみつけたのが、バックパッカー向けの安宿である。中を覘こうと、ふっと、中年のおじさんが出てきて、眼が合った、どうも宿泊者らしい。背広にネクタイ姿であったので、パッカーではないだろう。場所も良いし、安いので、わたくしも、一度と思っている。

バックパッカーズ ホステル ケイズハウス東京
 蔵前近くの安宿画像0009

 外国人向けの安宿といえば、日暮里駅きわの「寿々木旅館」や谷中よみせ通りの「アネックス勝太郎」(安いとはいえないけれども)などを思い起す(ただし、宿泊経験はない)が、カプセルホテルや24時間サウナが減っている状況では、出張などで地方から出て来て、より安く泊りたい向きには良いかもしれない。もっとも、ネットカフェといった新たな宿泊形態も登場しているので、ソッチへ行くのも、もちろん、良い。
 わたくしは相撲に疎いから、あとでサイトなどで気づいたのであるが、蔵前神社は相撲と縁が深いらしい。今の大相撲のもととなった勧進(大)相撲が境内で催されていたらしい。もともと、寺社の普請(建立や修理)をするために募った寄付行為を「勧進」といって、相撲もその一環であったのだろう。同社のサイト(勧進大相撲)によると、1833(天保4)年、回向院が定場所となる以前は、ここで、盛んに行なわれていたようである。以後、大相撲の歴史は回向院から、現在の(両国)国技館に移るのであるが、いっとき、蔵前(国技館)があったことも、そういう事情があるのであろうか。訪ねたことはないが、旧国技館跡地は現在、都の下水道局施設(処理場)になっている。相撲協会はこの用地を都に売却して、新国技館(両国)を造った、と、昔の記憶にある。最近はさっぱりであるが、小さい頃、大鵬柏戸の、いわゆる柏鵬時代に相撲は観ており、憶えている。それらはすべて蔵前(東京場所)での残像なのである。
 同サイトの「万年青品評会」が面白い。もちろん、植物にも疎い、わたくしなので、眺めているだけである。万年青は(訓して)読むことができない。歌手の一青窈さんがヒントになるが、こちらも、一筋縄ではない。サイトにある万年青(おもと)の画像をみると、ああ、例えば、月島とか、谷中とか、下町によくある光景の一部にこれらがあるのではないかと、納得した。これまで、朝顔ぐらいしか、分からなかったけれど、次回、下町方面を訪ねる際は、気を留めてみたい。
 神社をあとにすると、もう、お目当てはない。したがって、迷うという事態は生じないので、ふらふら、さ迷ってみた。あいにくのお天気で、太陽の方向も分からないが、方向音痴のわたくしには必要ない。道路標識や通りの名称あるいは住居表示案内図などを時おり参照にしながらの「宛て」のない歩行作業である。国際通り那覇でなく、浅草)になるのだろうか、通りの向こうに古いが、素的な建物を発見した。屋上には樹木が、1階は波斯絨毯屋さんである。戻ってからであるが、ネットで、「蔵前 ペルシャ絨毯」で検索してみると、そのお店が判明した。住所でもって、電子地図に調べていただくと、表示されたのが、タイガービルである。
 ヒトというのは、目のつけどころが変わらないためなのか、あるいは、その存在(同ビル)に誰もが気になる力が在るからなのであろうか。いくつか、サイトでの紹介も見つけた、その筋では有名であるらしい。

 繰り返すけれども、素的。

[古くて、素的なビル]※拙撮
古いビル画像0011

 Take your timeというサイトにキレイな画像があったので、どうぞ。

 蔵前あたりを歩いていると、タイガーさんには及ばないものの、はっとするような建物がいくつもあって、楽しい。

 一瞬、迷った(道でなく、心)が、鳥越神社(6月に大祭がある)はまだだろうと、勝手に解釈して、三筋という町名に惹かれて、体ごと牽かれていった。
 いま、わたくしが立っている場所を大まかに表わすと、浅草の南、隅田川の西、上野の東辺りであって、日本橋や浅草橋からみると、北側に当たる。要するに、下町の中の下町であり、隅田川を除く、以上に記した町に比せば、地味ながら、落ち着いており、雑〓(雑沓、雑踏)もなく、わたくしのような不審者の存在が、なおさら目立つのでもある。が、しかたがない、とにかく、帰るためには、どこかに駅を見つけなければいけない。もう少し、さ迷ってみよう。(続く)