蔵前から徒歩記

 所用を終え、都営大江戸線の「蔵前」駅で降りた。ここは、同じ都営の浅草線とは《地上乗り換え》という、訳の分からないアナウンスが聞こえてくる。電子地図上で測ったので、正確ではないが二百数十メートル先に、その駅はあり、しかも、通りを曲がることが必要となるため、もちろん、案内図はあるが、乗り換え客は戸惑う。これでは、JR山手線「御徒町」駅で、東京メトロ仲御徒町」駅はお乗換えですといっているようなものである、サギに近いかもしれない。いったい、どの程度の人が、アナウンスを信じて、乗り換えているのか、数えてみたい気もする。
 さて、駅を上がると、すぐに、「榧寺(かやでら)」がみつかる。というよりも、手前にある「かやの木会館」が見えて、その先にお寺が。明日は、4月8日、すなわち、お釈迦様のお誕生日である。「花まつり」というが、同寺でも盛大にお祝いがあるという案内が貼られていた。だからといって、わたくしは行くことはないが、いよいよ春という思いをもたせていただいた。榧というのは、どういう木なのか、さっぱり見当もつかないが、言い伝えによれば、ある時、山伏がやってきて、寺の僧と囲碁でもって榧(の実)を賭けた。山伏が勝ち、大木ごと遠江(とおとうみ;おおむね静岡県西部)に持ち去ってしまったらしい。
 以上は、「てらたび」というサイト内の榧寺についての紹介である。また、FUKUSHI’s Go Home Pageというサイトでは、囲碁ゆかりの寺社としても採りあげられている(囲碁ゆかりの地)。いずれのサイトにも共通しているのが、山伏の正体が秋葉大権現であったという点である。只今は浜松市天竜区の一部となった旧・春野町、天竜川とケタ(気田)川にはさまれて、秋葉山(あきはさん)があり、蔵前の榧は、ここへ移植され、囲碁(以後、ね)、たわわな実をつけたという。古くは、どんぐり、しい、あるいは、とちなどの実と同様、食用として、重用されていたわけだから、山伏(大権現)さんも是非ともほしかったのであろうか。わたくしも古い人間だから、どんぐり、しいは、やはり食していたが、たまに、虫入りもあって、往生(困り果てる)したことがある。ただし、秋葉山に榧があるかどうか、わたくしには分からないし、あっても、おそらく、分からない。
 藤枝静男氏の『悲しいだけ』(講談社刊、1979=昭和54年)に、《半僧坊》という小品文が収録されている。その中で、秋葉山にふれられていて、秋葉三尺坊(秋葉神社の南)に集う三尺坊たちが、お清めの火祭りを年一回行ない、(以下、引用)
 《全国の天狗代表が参集して、宴を張り、三宝に山積みされた栗榧椎の実、山芋、生牛蒡、生大根、生人参、生田螺(たにし)の類を非常な速度で噛砕く音だけが、二重の御簾をへだてた次の間の暗黒に控えている神主とその一族の耳に響いてくるだけである。》
 と、やはり、榧があったらしい。これが、蔵前から掠めてきた木であろうか。
 榧は碁盤(あるいは将棋盤)としても上等らしい。
 
 本日は、駅(大江戸線・蔵前)を降りて、たった、数十歩しか、記すことができなかった。ここから、上野まで歩いた(途中、ふらふら迂回)ので、引き続き、と思う。