花道、散りぎわ

 所用と所用のハザマで人形町〜水天宮を歩いた。人形町通りというのか、両袖に桜の木が満開(やや、散り気味)で、そこをくぐりぬけていると、まるで、花道で見得を切っているような錯覚をする。もちろん、首都高6号向島線、東京シティ・エアターミナルあたりを過ぎると、散り(去り)ぎわを心得て、所用に心を少し傾けようと、勉めた。こういう、落差があるものだから、わたくしは、桜が好きになれない、忙しない、どうしても、そういう気もちになってしまう。(と、記しながら、なんではあるが、この8日には桜まつりが開かれるとあった、今週末・・・本日からだけど、まだ、見ごろかもしれない。よかったら、どうぞ。)
 2件目(所用)を終え、歩こうと思った。すでに、ブルーモーメントもなくなった7時前、暗くなりかけた通りを戻り、水天宮駅も、人形町駅も無視して、ひたすら、北上(やや西側)し、堀留町を通過し、小伝馬町駅まで至った時点で、江戸通りを右折した。うってかわって、木蓮の街路樹が、もう、大きな白い華を路上に落としていた。木蓮かどうかは、わたくしには分からないが、香りがしない、という、ことのみでもって、そう断記している。確かに、目黒でみた「の」より、大ぶりであるようにも。ということは、目黒「の」は、コブシであったのであろうか(拙ブロ;メグロのタヌキ、08年3月15日付)。
 こちら(江戸通り)のほうが、花道もなければ、「きわ」もないから、ずっと、忙しくなくて、わたくしには良い。馬喰町、横山町辺りを歩いている。もう、業務は終了している問屋街を横目に、力尽きて、地下駅に潜った。いつ、再訪しようかと、思案している。