身代わり地蔵さま

 少し、復誦する。
 文京・春日「こんにゃくえんま」様の地蔵さま(塩地蔵)は歯痛に効くとされる。具体的には、お塩を持参して、お地蔵さんに供す(塗す〜まぶす)。したがって、お地蔵さんは塩まみれになっている。また、備え付けのお杓で(まみれの)お地蔵さんのお塩を掬い、手にとって、頬にこすりつける、そういうことでもって、願懸けを行なっている。また、塩地蔵さんが同居する源覚寺の「こんにゃくえんま」様は眼に効くとされ、しかも、えんま様が身代わりとなってくれている。くりかえすと、前者は、願懸けで、後者は身代わりである。塩地蔵さまは塗(まみ)れるが、えんま様ご自身が身代わりとなって、失明したように、自らの歯を虫歯でぼろぼろにしたということではないらしい。ただし、お口を開けて、お歯をみせているのかどうか、確かめていないので、本当のところはわからないが、どうやら願いを請け負って、お釈迦様やら如来さん、あるいは同僚菩薩に申告しているらしい(根拠なし)。これが願懸けであり、たとえば、浅草観音で、焚いた煙を患部に当てたりするのも、その類になるのであろう。
 眼科医でもあった作家、藤枝静男さんが、その著作「滝とビンズル」で、ビンズル信仰に困っていると記している。おビンズル様は万病に効くと謂われ、病んでいる体の部位と照らすようにおビンズル様を撫でて、返した手を自分にも当てる。眼を患った人が、(おビンズル様の)眼あたりを撫でては、(自身の)眼に当てる。ところが、これが願懸けにはならず、逆に、眼病、特にトラコーマの伝染を助長している眼ざわりな存在だと、氏は云う。(拙ブロ;おビンズル様07年10月7日付)
 目黒の蟠龍寺(ばんりゅうじ)には白粉(おしろい)地蔵さんがいて、こちらは願懸けであるようだ。でなければ(身代わりであれば)、ここのお地蔵さんはずいぶんと辛い想いをされていることであろう。実際には、ふんだんに白粉を施されているものだから、本来は美しいお地蔵さん(目黒区サイトより)のはずであるが、塗られすぎて、目鼻立ちがはっきりしていない。(拙ブロ;メグロのタヌキ08年3月15日付)
 2月に訪れた山形市の歌懸(うたかけ)稲荷神社の場合は少し異なり、お参りする人が、短冊に歌を認(したた)めて奉納したことから、そう呼ばれるようになった(歌懸稲荷神社十日町商店街サイトより)。ただ、歌を懸けるが、その奥底には願を懸けるという気もちがあったのであろう。「今(イマ)」も継続されている絵馬(エマ)を懸けるという信仰も歌懸に親(ちか)しい気がする。拙ブロ;むらやま・楯岡(たておか)壱〜市(いち)へ(08年2月6日付)
 さて、標題にある身代わり地蔵といえば、やはり、「安寿と厨子王」であろうか。森鴎外翁の『山椒大夫』をひさびさに読んでみた(青空文庫)。姉弟の災難を身代わりとなって、守ってくださったお地蔵様が「主役」である。厨子王は、その後、丹後の国守りになる、というのも、ここのところ、関わってきた「堀様」に通じていて、もちろん、偶然であるが、楽しい。今、広沢の池付近の石仏は出ているかと、電子地図を開いたままにしているが、そこから丹後由良はそう遠くない位置にある(嵯峨嵐山〜丹後由良まで2時間半前後)。ふたりは由良の山椒大夫に売られていった。身代わり地蔵は、ここにあった(如意寺の身代わり地蔵宮津市由良〜京都新聞より)。また、現在のいわき市にも由縁の地蔵尊像があるとも。キリスト教では、身代わりを、受難(Sufferings)というのであろうか。向こう(キリスト)はひとりで背負っているのに、こっち(地蔵さま)は日本中にいて、分担している。地蔵さんは、どこにでも、いらっしゃるところが良い、助かる。ああ、もちろん、だからといって、キリスト様を否定していることではないし、C様も十字架、イコンなどとして、随所に居られる。
 今、チベットは深刻な状態に陥っているが、下の写真はいわゆる摩尼車(まにぐるま)、目黒の大円寺のものである。一回一誦(いっかいいちじゅ/いちえいちじゅ/いちえいちず)、一廻りすることで、お経を読了したとされる。

大円寺マニ車(縦廻し型)]
大円寺輪塔画像0022

[獣像;大円寺]※ついで
大円寺獣0023

[笛吹童子(女)?;大円寺]※ついでのついで
大円寺笛吹画像0021

 あんじゅ(安寿)恋しや、ほうやれほ。
 ず(づ)しおう(厨子王)恋しや、ほうやれほ。
 鳥も生(しょう)あるものなれば、
 疾(と)う疾う逃げよ、逐(お)わずとも。

 以上は、『山椒大夫』の結段である。母を捜す厨子王が、ひとりの盲目の女に牽かれ、その詞(上記4行)に聞き惚れた。その声主が、母親であった。

 「ほうやれほ」の意味は分からない。ただ、女(母親)は、「蓆(むしろ)に干してある粟の穂が、雀の来て啄(ついば)むのを逐(お)っている」(山椒大夫より)。

 鳥追い唄である。

 あさ鳥ほほほ ゆう鳥ほほほ
 長者どのの囲地(かくち)には
 鳥もないかくちだ
 やいほい はたはた  (大滝/大館市) ※以前にも紹介した

 朝鳥ほいほい 夕とりほいほい
 長者殿の囲地さ 鳥が一羽おりた
 どうこの鳥だ 鎌倉の鳥だ
 頭きってしほつけて 塩俵(しよだら)にぶちこんで
 佐渡が島さへ ぼってやれ ぼってやれ  (谷地中/五城目町

 「菅江真澄」(田口昌樹氏著/秋田文化出版社)にある、真澄が集録されたといわれる唄である。二句目の佐渡については、ほかの地域唄にもでてくる。(安寿と厨子王の)母親が売られていったのは佐渡(山岡太夫)である。

 生き別れた安寿、厨子王が恋しくて(心配で)、鳥追いなどには身も入らない。(わたしは)鳥を追い払う気もちもないけれども、生きているのなら、鳥も、安寿も、厨子王も、追っ手より「疾(と)う疾う」逃げて、どうか、生き永らえて、という、(母の希みをあらわした)追っ手追い唄でもある。

 ほうやれほ