メグロメグリ(The SANMA limits it to Meguro, he said)

 サンマは目黒に限る
 、という有名なお噺「メグロのサンマ」は粗筋については、なんとなく理解しているものの、「公式」に聴いたことがない。目黒のお狩場に出かけたお殿様が空腹を訴えたが、あいにく食事の用意をしてこなかった。と、そこらから芳ばしい匂いが漂ってきて、それがサンマの塩焼きであった。当時は庶民(下級)の食べ物とされていたサンマであったので、お伴(家臣)たちは逡巡したけれども、背に腹はかえられない、初めてサンマを食したお殿様はすっかりご満悦で、後日、お城での宴にサンマを所望された。家臣はアレコレと考えたあげくに、河岸から仕入れた「上等」のサンマを(メタボ気味のお殿様のために)脂脱きをし、さらに、骨抜きをしたものだから、身が解(ほつ)れて、ぱさ・ぽさになってしまうが、(構わず)それを器にもって、供した。美味いわけがなく、(お殿様の)冒頭の口上(正直な感想)になった。
 只今は年中サンマを食することができるが、やはり、旬は秋である(サンマ=秋刀魚)。降り塩をし、七輪でもって、適当に脂を落としながら、焼くのが美味しさを牽きだすコツらしい。今日の街中では とても難しい所作であるが、当時は、目黒に限らず、江戸のアチコチで、その(美味しそうな)煙が立ちこもっていたのであろう。サンマの煙は善いが、こちらのほうは避けたい。目黒行人坂は上から望むと、もう二度と戻りたくない勾配をもつ。
[行人坂]目黒不動尊への道であったともいう
行人坂2像0015

 その途中にある大円寺より出火したのは明和9(1772)年2月29日(28日の説もある)であるという。火勢は芝、日本橋、京橋、神田、本郷、下谷、浅草と拡がり、犠牲者一万数千人といわれる。10万人余の死者があったという「明暦の大火」(振袖火事)に次ぐ被災規模であり、「文化の大火(芝車火事、あるいは丙寅火事)とともに、江戸三大大火と称される。出火当時を現暦であらわせば、4月1日、この数日間、江戸(東京)に暖かさをもたらしている南西風が当時も吹いていたらしく、その影響で、北東へと火が持ち運ばれ、延びた。火元の大円寺には、その被災者を供養する石仏群(五百羅漢ともいわれる)が建立されている。西運堂(明王院)といって、現在の雅叙園〜アルコタワー付近に、お七を供養する目的で創まった廃寺(堂)があったそうである。現在は一部が、大円寺に移設されているそうであるが、西運とは「お七」が駒込に避難した際に心を焦がした佐兵衛のことである(諸説あり)、彼が出家して、明王院(西運堂)を築いたといわれている。諸説があって、以上については、主に「ぼやで身を焼く八百屋お七/消防雑学事典」(東京消防庁サイト)および「」を参考にした。
 目黒を離れている。
 10日に目黒から、春の日に誘われて、春日駅で降りたことは書いた。が、日暮れにもなり、目的地へいくことは叶わなかったし、だいいち、降りる駅を間違えている。少なくとも、ひとつ先の「白山」であった。
 本日(12日)、西日暮里で降り、道潅山通りを経て、一時、迷いながら、動坂を上りきって、しばらく下ったあたりの通りでもって、「きっしょうじ」への道を「地」の方(かた)に尋ねた。「きちじょうじ」かい?、道が違うよ、といわれ、本郷通りに面しているからね、この裏道をいって、「突き当たって左、で右の、次も右」と教えられた。ようやく、たどり着いた。存外な広場があって、そこからながめる本郷通りの両側にビル影があって、界隈を車が走り過ぎていっているのであるけれども、ここだけが、静まりかえっていて、しかも、誰もいない。八百屋お七は、三大大火には及ばないが、天和元(1681)年2月の大火で焼き出され、駒込の吉祥寺に身を寄せた。もちろん、諸説があって、確かめようがないが、そのあたりを歩いてみたわけである。吉祥寺は、江戸城拡張のため、現在の水道橋あたりに移り、明暦大火(振袖火事)で消失、駒込に落ち着いた。ついでに記せば、中央線の吉祥寺はこの寺の門前住人が移り住んだことが由来であるという。第二次大戦で焼けて、今は、山門と経蔵(経典を納めるため)ぐらいしか残っていなく、ほかは、再建された建築物だそうである。
本郷通り方向を望む](この鐘楼も古そうだけど)
吉祥寺赤の広場画像0013

[経蔵]
吉祥寺経蔵画像0012

 ただし、八百屋お七の物語は、ここだけで終わらない。もう少し、白山方向へと歩いてみることにする。

 二たび、目黒に戻っている(10日)。坂を下り切り、太鼓橋(元名は一円相唐橋)のたもとに立っている。西運が架けたともいわれる。右側には古くからの鰻屋さんがあって、わたくしは所用前でもあるので(呑めないので)、横目でしかないけれども、櫻好きの方にはよいかもしれない。
[太鼓橋]
太鼓橋画像0025

鰻屋さん]目黒川の桜を観ながら、食べるのであろうか
太鼓橋鰻や画像0024

 次回は、太鼓橋から、お彼岸の方へと渡ってみる。