むらやま・楯岡(たておか)壱〜市(いち)へ

神町→山形]
切符画像0022

 神町(じんまち)から山形まで下った。この日の「停泊」地である。山形市には何度か来ているはずなのに、印象が薄い。あらためて、訪ねて、その訳がこの(冬)時季に来たことがないということだと気づいた。地元の方のご苦労は別に擱かせていただき、傍観的観光客には、やはり、東北は冬、しかも雪積りの風景なのであろう。駅周辺を歩こうと、翌日(29日)、仙台行きの列車時間までの3時間ほどをあてた。したがって、ほんのわずかである。ある程度決めていたのは、せめて歌懸(うたかけ)稲荷神社までは行こうというだけのことである。すなわち、十日町近辺でしかない。日付が付く街区というのは、おおむね、三斎市、六斎市といわれる月に3回(日)あるいは6回、定期的な市(いち)が開かれていた名残である。どちらかというと、東北地方に多く残っており、例えば、青森県八戸市はその代表で、現存する町(△日町)をあちこち歩いていると、毎日、どこかで市が立っていた当時の賑やかしい様子が浮かんでくる。2・12・22日と市(いち)が立てば二日町、四日市市(よっかいち・し)は、4・14・24と月3回の三斎市があったことに由来する。わたくしの育った田舎では「二・七の市」つまり、2日、7日、12日、17日・・・と、月6回「あった」ので、六斎市である。その日だけ焼いていた「みたらしだんご」が楽しみで、毎回訪ねていた記憶がある。ただ、ニ・七日町という名づけはされなかった。本来は、2か7のいずれかであったのであるが、売上げを伸ばすために三回(斎)を六回(斎)に水増しただけのことであったらしい。
 山形の十日町は、毎月10日に行なわれる、いわば一斎市である。只今は、現代風の市に様がわりしており、百貨店や商店が通り沿いに軒を並べている。わたくしは、足許の雪ばかりに気をとられていたのか、うっかりしていたけれども、蔵店(くらみせ)といって、古い蔵を再利用した、お店がいくつかある(あった)らしい。
山形市十日町の蔵店](「山形の過去、現在、未来」より)
[こっち↓は裏通りの未使用?の蔵]※お蔵入り、か?
山形十日町土蔵画像0002

 創(はじ)まりは、歌懸稲荷神社の縁日であった。今でも1月10日は初市であり、月次祭も同日に行なわれている。(山形市十日町町商店街HPより)。もっとも、「斎」というのは、神仏と深いかかわりのある言葉であって、モノイミ、イツキなどとも読み下される。お清めの前に飲食や活動(外出など)そのものを慎むこと(物忌み)であり、その見返りとして、市(いち)が立った。だから、よけい、楽しかったのかもしれない。そのうち、モノイミは脇に追いやられ、市はというと、九斎あるいは十五斎へと展(の)び、今では「いち」というのは、もう毎日立って(開いて)いるようなもので、便利さは増したけれども、楽しさ(わたくしにとっては、焼きたてのみたらしだんご)は薄くなってしまったようにも思う。
(日付が戻る)※1月28日から27日へ
 毎と日をひっくり返すと、晦(みそか晦日)と読める。99年に山形新幹線新庄駅まで延伸され、村山駅も同時開業し、駅名を地区の名を附した楯岡(たておか)駅から変えた。ここに晦日町がある。村山には別の目的があって、実は、そのことが、今回のブロ旅(一応、所用も)を始めるきっかけであったが、例によって、電子地図上で、はたっと、歩が止まってしまった。楯岡晦日町は村山駅の東側一帯、旧宿場町にある。暖簾分けにより、「パンの田宮」はこの地で創業した(ただし、阿部和重さんの『シンセミア』の中のこと)。駅から歩くと、十日町もあり、ほかに、二日町、五日町も残っている。とはいえ、この時季というハンディを差し引いても、決して、繁華な様子を見ることはできない、むしろ、駅西側の「新開地」には羽州街道に変わる国道13号や市役所もあり、もはや、振り子はそちらに寄っていて、晦日町近辺はますます廃れているという気配が強い。泊ろうと思い、一軒だけビジネスホテルをみつけて、事前に電話したが(ネット予約が見つからないので)、とうとう、不通で、あきらめた。そういうこともあり、わたくしの印象はいたって表層(氷層)に軽くふれている程度のものでしかないのであるが、地軸は「こっち(東側)」にあって、吸っている空気の質・密度も上等である、と思っている。
[楯岡晦日町]
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[氷柱]※↑住居表示のお宅にて
晦日4の1氷柱画像0011

 みっけものをした。

 楯岡晦日町を訪ねる際に目印を得性寺(とくしょうじ)と定めていた。それが、方向音痴のわたくしにとって、最大の拠りどころであった。結果的には迷ったが、どうにか、たどり着いて、そのあたりが晦日町であることを確認できた。同寺は門前が雪でもって遮られており、また、掻き分けて、お邪魔するほどの気持ちも湧かず、駅に取って返そうと、ふと、通りから、まだ早過ぎる春をみかけた。愛宕神社の枝垂れ桜である。もちろん、今は、花のかわりに、六花(りっか)の重みが枝垂れを増しているようで、可哀相でもある。桜が好きでない、わたくしであるが、この桜には、もう一度、満つる頃にお逢いしてみたいものだと、頭の中ではもう、再訪を決めている。
愛宕神社の枝垂れ・雪櫻]
愛宕しだれ画像0012

 晦日町から東(1キロちょっと)にバラと桜が有名な東沢公園があり、その脇に楯山(標高は約200メートル)がある。本日は、いずれも、望むことはできない。もちろん、その先の甑岳(こしきだけ;標高千メートルちょっと)は、わたくしにお姿を見せてはくれない。

[そこら?の山]※楯山ではないと思う
山2画像0006

[この先に甑岳?]※当てずっぽうで、当てにならない
山3画像0008

 時間をもう少しだけ戻して、この項を続けたい。