年表と年裏

 所用でもって、いわゆる年表というものをアレコレと眺めていた。わたくしが生まれる前、生まれていたが記憶にない頃、そして、その後から只今へと、駆け足で、時代を走っている想いであった。個々については省くけれども、ひとつ紹介すると、「年表昭和史(増補版1926−2003」(中村政則氏編、岩波ブックレットNO.624)というのがあって、昭和20(1945)年が二期に分かれて記述されているという経験を初めてした。
 境は8月14日と15日である。
 このブックレットは、そもそも昭和史であるから、と、理解すれば、「境」が了承できるのかもしれない。が、そこで分けることに、悩んでしまう。昭和史は、敗戦が「境」ということになってしまうのか、うがってみれば、そこ(境)で、別物(はい、今日=15日から別です)ということなのであろうか。ちなみに、頁(年)ごとに一枚のその年を象徴する(と意図するのであろう)写真が掲載されている。8月14日(昭和20年前半)は「長崎・原爆のキノコ雲(この表現もなんだかな、であるけれども)」、15日(昭和20年後半)はマッカーサー昭和天皇と並んでいる写真・・・。ま、昭和史なんであるから、致し方がないのであろうか。ただし、わたくしは、ほかの年表をすべて見ているわけではないので、本日以降、暇な時に、(分かれているのかどうかを)他の年表類も確認してみたいと思う。
 同じような視点で考えれば、1989年であろう。昭和64年(1月7日まで)と平成元年(1月8日以降)との境である(昭和史の終わり、上記ブックレットも、ここで終わるだけのコダワリをもってほしかった)。同ブックレットには、昭和63年と64年として、「繋がり」扱いをしており、1月7日で終わっている。あくまでも、昭和史というこだわりとして理解できる。ちなみに、1926(大正15年並びに昭和元)年の記述は12月25日の大正天皇崩御改元(昭和)のみと(昭和史に)徹底している。ただし、両天皇崩御を「没」と表記しているのが、冷静で、おかしい。昭和史をいったん擱くけれども、89年という年は記憶に残っている騒がしい一年であった。最初に、消費税(3%)スタート(4月1日)へ眼がいったけれども、11月9日にベルリンの壁撤去とある(同ブックレット)。前記(ブックレット)表にはないけれども、没(歿)関連では手塚治虫氏、美空ひばりさんが亡くなられている。カラヤン楽師、サルバドール・ダリ絵師も死去。天安門があり、ソ連のアフガン撤退、ポーランドを皮切りに、チェコスロバキアルーマニアが続いた。フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』1989年の項には、カップ麺が袋麺の生産量を上回るとある。携帯電話が固定電話の契約台数を上回るのは2000年のことである。カップ麺と携帯、只今の象徴のようでもあり、それはそれで、悪くないし、わたくし自身も、そういう状態になっていることもある。
 89年の最後はおおむね12月29日の株価(ブックレットには東証平均株価とあるが、これは、日経平均株価のことだと思う)、3万8,915円87銭、最高値であり、崩壊の始まりでもある(日経平均株価 記録室 Ver.02より)。※東証株価指数(TOPIX)は89年12月18日に最高値を記録している。
 想い付きであるが、歴史の表舞台にあらわれることのない事情だけをあらわした「年裏」のような年表があったら、な、と、欲(ほっ)している。例えば、風俗史や情事史あるいはサブカルチャー史なども、それに該当するのであろう。もちろん、それぞれ(個々)のヒトの人生を著わすことが、もっとも珍重な年裏である(ブログはそれに近いのかも)。
 今夜は、夜更かしているものだから、わたくしの年裏に、また、空白の24時間が記述されるのかもしれない。ま、たいした、ブロではないのだけれども寝。(-_-)zzz24more
⇒(拙ブロ「寝界」08年1月7日付)