あまねく

 毎月、受け取っているのであるが、良く見ていないモノのひとつに電話の料金内訳がある。料金(額)は一応確認するが、内訳までは、詳細に見ていない。その中にユニバーサルサービス料というのがあって、今は7円/月で、この1月分から6円になるという。詳しくは、社団法人電気通信事業者協会支援業務室の資料を見ていただきたいけれども、その内容、仕組み、趣旨などについては、いまさら、あれこれ書くつもりはない。
 料金表の上部にある『ユニバーサルサービス料は、あまねく日本全国において・・・』という一節が気になった。

 あ・ま・ね・く

である。
 
 手許の国語辞典を検めると、
【あまねく】
 普く、遍く・・・及ばぬ所がなく、ひろく行きわたって(いる)「普」は、広く一般にゆきわたる、「遍」は、一とおりゆきわたる。「普」より意味が軽い。とある。
 一体、これまで、この、アマネクという言葉を何度使ってきただろうかと、数えてみたが、覚えがない。おそらく、一指とも折ることがなかったのではと思う。
 ついでに、ではあるが、NHKの使命は「あまねく放送」とも初めて知った。
放送技術の歴史」(NHK)
 あわせれば、【普遍】・・・あまねくゆきわたること、一群を構成する物事すべてに通じて存在すること(逆は、特殊)、とある。
 普遍というのは、てっきり「すべて」に通じるものと思っていたけれども、どうも違うらしい。仮に一群と二群が存在する場合、前者で普遍であっても、後者ではそうでないこともあるという解釈になる。したがって、この世には普遍ということはありえないという曲がった解釈も当然可能となる。普遍と不変は似ているようでも違う。また、NHKは公共放送という標榜ゆえに不偏というが、これも違う。

 西周(にし あまね)氏のことである。周の父親は森家から養子として、森家と同じく津和野藩典医である西家に入った時義である。時義は高亮の次男、長男は綱浄(白仙)、そこへ入夫したのが静泰(静男)、鴎外の実父である。ただし、つい百五十年前の話なのに、説が分かれているので、上記、系譜が正しいのかどうか、責任はもてない。[参考とした系譜(西周〜啓蒙思想家 〜日本近代哲学の開拓者 「哲学」の名づけ親〜課題解決型リサーチライブラリー/神奈川県立図書館・同川崎図書館)]
 森鴎外翁の「ヰタ・セクスアリス(VITA SEXUALIS)」に登場する金井湛(しずか)君は林太郎(鴎外)がモデルといわれている。中に、東(あずま)先生というのが出てきて、カナイ君(カネイ君かもしれないけれども、以下、カナイ君)は向島の自宅から通うのには不便と、お父様の先輩というアズマ先生宅(神田小川町)から学校(本郷/進文学社・舎)へ通うことになる(向島小梅村〜本郷元町・壱岐殿坂は、今なら、そう遠くはない;押上駅本郷三丁目駅で30分弱)。このアズマ先生が周ともいわれている。上記は小説であるから、事実とは異なるけれども、実世界においても、カナイ君とアズマ先生のような関係が鴎外と周にはあった。
 岩波文庫に「鴎外随筆集」(千葉俊二氏編)というのがあって、わたくしの抱いていた鴎外の印象とはやや異なった、軽い言調でもって、さまざまなことが記されていて、面白い。有名な『夏目漱石論』(というほどの長文ではないが、鴎外さんらしい)も収蔵している。小倉時代の作もあり、『小倉日記』とは、まったく趣きの違いを感じさせてくれる。
 そのひとつ、『混沌』というのは、1909(明治42)年に「在東京津和野小学校同窓会会報」に載せられた文であり、おそらく、同郷輩を前に、講演した内容の載録なのであろう。もう、小倉赴任から東京に戻り、数年経っており、鴎外翁48歳である。
 その中で、津和野(人)気質について語られているので、引用する。
《福羽先生とか西先生とかいう人はえらかった。あれは決して小才ではない。然るに皆津和野の人として気の利いた人ではない。私は福羽先生にはあまり近づけなかったけれども、西先生には大ぶ親んだ。東京へ出ると西先生の玄関に机を構えて学校に通ったものですから、好(よ)く知っています。・・・》ちなみに、ヰタでは応接所と台所の間にカナイ君の机はあったとある。
 西先生というのが西周のことである。周は上記神奈川県立図書館の紹介にあるように哲学という言葉を造語(訳語)し、自身も哲学家(思想家、啓蒙家などとも)であった。ほかに、芸術、総合など、明治の名づけの妙との関係が深いと謂われる。ただし、以上の「語」は周が造ったというのではなく、漢語(漢籍・仏典)からの転用であるという説もある(哲学、もとは希哲学は周による、芸術は不明である)。少し、紹介すると、先の総合のほか、感性、交換、合成、細胞、思考、体験、転換、命題、帰納、演繹、先天・後天、観念、観察、意識、義務、情緒、弁証、客観、現象などである。一方、新たな説として、周の造語と思われる言葉としては以下があるそうだ。
 概念、極端、具体的、肯定、子音、死語、主観、焦点、属性、抽象(的・力)、特称、能動、否定、本能、理想。
 また、訳語ではないものの、新造語として、再現、断言、反証などがある。
(手島邦夫氏「西周の訳語の研究」※2002年3月25日/東北大学大学院・文学博士学位論文)より
 哲学用語(?)が多いが、只今も定着した言葉として、<あまねく>よりは多く使われていることに感心する。
 また、福羽先生とは、福羽美静(ふくば(わ)・よししず/びせい)のことである、周にとっては、津和野藩校「養老館」の近き同窓であり(周1829年生まれ、美静31年生まれ)、周は国学の美静と真っ向対峙したといわれ、鴎外(62年生まれ)はというと、「あまり近づけなかった」と上記随筆集(混沌;これは誰の訳語なのだろうか)にあり、また、美静から和歌を学んだということでもあるけれど、どうも、縁筋(周)と異なり、近寄りがたい存在であったようである。ただし、鴎外青年(カナイ君)は、その後、周の「西(洋学)」と美静の「国(学)」を自身の著作に色濃く写しており、あながち、美静を疎遠に想っていたわけでもないのであろう。
◎福羽美静について(社団法人新宿法人会サイトより)
福羽美静と角筈(1)
福羽美静と角筈(2)
 鴎外はのちに『西周伝』を書くが、残念ながら、眼にした(読んだ)ことがない。西周も含め、あらためて、眺め、想ってみたい。余談であるが、わたくしが二十歳前後の頃、津和野ブームがあって、特に同級の女の子ばかりが、津和野を詣でていたことがある。残念ながら、わたくしは、まだ、ないので、機会があればと思っている。
 08年のあまねくNHK大河ドラマは「篤姫」ということであるが、姫は亡き夫の継ぎとして慶喜公を推したという(島津の謀りごとではあろうが)。慶喜は周を重用しており、あれこれと周の助言を求めていた。当然ながら、姫と周も面識があったらしいが(どうも、二人ともに中浜・ジョン・万次郎に英語を教わっている)、そのあたりのことが今回のドラマで描かれているのかどうかは知らない。同局のサイトをみると、さすがに、そこまで詳しくは紹介されていないが、キャスティングに西周の名を見つけることはできなかった(原作の方は未確認)。
 ただ、気になることがあった。脚本家の方の文章である。以下、引用すると、
 「あらゆる日本人の目が、外患・内憂によって曇り、あるいは幻惑されていた幕末の頃、南の果てに唯一、冷静かつ先見性に満ちた視線を持つ藩がありました。遠い海に浮かぶ琉球という独立国家を支配下に置き、本州の長さに匹敵する長さの領土を保持していた薩摩藩です。(以下略)」(NHK大河ドラマ篤姫のサイトより)
 これは、どう解釈してよいものか、戸惑っている。単に、事実(史実)として述べられておられるのだろうか、それとも、薩摩藩の「冷静かつ先見性」を強調するためなのか、あるいは篤姫のPRのつもりなのだろうか・・・、やはり、困っている。
 最近、買い求めた伊波普猷(いは ふゆう)さんの『沖縄歴史物語』(平凡社ライブラリー)の「小序」を掲載しておく。
 《日本民族の遠い別れであって、古代生活の様式をあらゆる点に夥しく保存しているために、学界の注意をひいている沖縄は、大正昭和の交に至り、経済上の大窮迫を告げて、国家の手で救済されなければならなくなったが、復興の曙光を見ないうちに、太平洋戦争が勃発して、間もなく日米の決戦場となり、ついに世界史上未曾有の大惨害を蒙るに至った。わけてもその文化財の見る影ももないまでに破壊し去られたのは、惜しみてもなお余りあることである。「島惑い」した私は、せめてその文化のあゆみを略述して、故郷を偲ぶよすがにしたい。》(1947年6月13日)
 ぼつぽつ、と、昨10月にうかがった島のことについても、書き留めていこうと思っている。