「手腕」の置き所

 この時季はウィンタースポーツがさかんである。サッカー、ラグビー、駅伝・・・など、もちろん、競泳なども室(屋)内で行なわれているようだから、もう、ウィンターとかサマーとか、そういう区分けをする必要もないのであろう。わたくしはというと、もちろん、しない。危ないからである。寒いのに、ふだん動かしてもいない身体を、臓器を、呼吸器を、毛細血管を必要以上に使用することは、避けた方が良いと、勝手に判断して、一切、動かないようにしている。そのかわり、観させていただいている。もっぱら、画面を通してであるが、他所様の動いている様を眺めながら、タイヘンだね、ご苦労様とつぶやいている。箱根駅伝では、ある選手が踏み切りで妙な跳ね方をしたなぁと案じていたら、その先でシード権を失うというアクシデントに見舞われた。このような場面で鉄道の高架化を考えるとは思わなかったけれども、京急さん、お願いします。(高架化工事のあらまし)※鹿島の資料ですが
 サッカー、ラグビーそして駅伝に共通しているのは野球などと異なり、ゲームの最中にタイムアウト(ブレイク)でもって、監督やコーチが支持を与えることができない点にある。もちろん、声をかけたり、ハンドマイクを通じて伝えられているが、ゲームは止まっていない。判断は四分六以上の割合でプレイヤーに委ねられている。それだけに、事前の戦略建てなどの手腕(監督らの)が問われるともいえる。大学以上では、サッカー90分+α、ラグビー80分プラスα、また、駅伝は5〜6時間×2日である。それぞれの試合展開をシミュレーションして、的確な戦略を戦前、個々に伝えることが重要な役目である。ゲームが始まってしまえば、もう、用はない、(監督・コーチという立場は)その程度のもののようである。したがって、野球のように、あの場面はオレ(監督)の采配が悪かった、監督の責任であるといった(そこの部分だけ責任をとるような)コメントはできない仕組みになっている。負ければ、全て、オレの責任、そう言うしか術はない。そのかわり、勝ったら、選手とともに、まるで自分がプレイしていたように喜ぶのも、上記種目のオレたちである。
 さて、わたくしの「手腕」についてである。くどいようであるが、繰り返すと、肩胛骨が良くなって、睡眠も、より快的となり、長寝も経験できた。しかし、まだ悩みがあって、それは、睡眠に落ちるまでの僅かな助走期間のことである。通常、わたくしの(睡眠)体勢は仰向け、または、右半身を床につける横寝である。右というのには理由があり、心臓及び左肩胛骨辺りに負担をかけないためである(今は、もう、その必要がないはずであるが、やはり、怖いので、そうしている)。で、寝る際に腕(手)の置き所に困っている。仰向けの際はだらりと伸ばして、足元方向へ(真っ直ぐに)と思うのであるが、なぜか落ち着かず、胸辺りに置いたり、腕組みしている。が、しばらくすると、(胸への)圧迫感と肘辺りに痛みを感じて、二たびダラリ体勢へ・・・で、その繰り返しを行なった末に、右半寝体勢をとる。右半寝の場合はというと、いっそう困っていて、とりあえず、胸付近に肘から先を折り曲げて、添え置いているが、なんだか、赤子のようで、恥ずかしいし、肘も痛い。しかも、双膝を折り曲げて寝るクセがあるので、胎児のようである(ただし、コレには理由があって、長年痛めている腰への負担を軽くする効果があると、知ったから)。といって、伸ばすには左はともかくも右は相応の技術が要って、身体の線から外しながら(体に沿ってという状態は、身体の真下に位置するということであるので、手腕の負担が大きすぎる)、身体の前に持っていくしかない(背後へ持っていくことも可能であるが、疲れるし、ややこしい)。思い余して(余って)、「肘枕」にしたりするが、これも、そのうち、手が痺れてきて、断念、どうしたものか、と、悩んでいる。終いには寝ているのだから、どうでも良いことであるけれど、翌朝起きてみると、手が痺れている場合がある。どうやら、「右半寝・右(手)腕・右顔面側下方押し潰し」状態というのが最終的な体勢であることが分かる。目覚めても、しばらく右手は利かず、痛い思いをしているので、なんとかしたいと考えている。左手はというと、どうだか分からない、適当にしているのであろう。こっちは、それで良い。問題は、右手腕のようである。
 そういうことに寝る何分間かを費やしている。寝てしまえば、サッカーやラグビー、駅伝の監督と同じで、何もできないことは分かっている。寝る前の一瞬に、わたくし(オレ)の手腕が問われている。(-_-)zzz