琉球留記?猛暑の散歩(漫湖、真玉橋)

 たいへん暑い日でもあった。県庁前の久茂地(くもじ)にある複合商業施設「パレットくもじ」内の『那覇市歴史博物館』を訪ねたが1周年記念展示の準備のため、今日(5日)まで休館と知って、同館以外に、とりたてて、本日の予定は考えていなかったので、新たな行き先を考えることに。幸いというのか、このような事態も考えていたのであろうか、この日はユイレール沖縄都市モノレール)の一日乗車券(600円)を購入していたので、どこへでも行くことができると思った。といっても、首里那覇空港間にある駅のいずれかでしかない。少し「乗り鉄」してみようかと、ユイレール全駅制覇を思いついた。残りは六つ、西から赤嶺(あかみね)、小禄(おろく)、奥武山(おおのやま)公園、壺川(つぼかわ)、美栄橋(みえばし)と古島(ふるじま)である。(乗り鉄)しても仕方ないよね、と、誰かが囁いたと書けば良いのだろうが、実際には、そのような元気はとうにない。「が」、外は暑いが漫湖付近を歩こうと決め、壺川駅に向かう。くどいけれども、暑い日であった。少し、覚悟を決めて、同駅で降り、国場(こくば)川の向こう岸に渡ると、奥武山公園で陸上競技場や球場(現在改装中)、武道館、それらを回りこむようにジョギング及びウォーキングコースなどが配されている。明治橋を渡り、公園に出たのであるが、方向音痴はどこまでも、いつまでも、そうであるらしく、川沿いを歩いていたのにもかかわらず、目的地には到らなかった。音痴のほかに理由もあった。暑いので、木陰を求めて歩いていた。いつのまにか、一駅分、歩いてしまい、奥武山公園駅である。ユイレールは高架化されているので、木陰が途切れた時点から、(ほど良く陽射しを遮ってくれる)その下を歩いていた。同駅に上がり、駅員さんに道をお聞きし、途中、居酒屋さんがあって、営業中というサイン(誘い)にずいぶん迷ったけれども、コンビニを選び、スポーツドリンクを買い、教えていただいたとおりに進んだ。
 宮古には川はないが、多良(たら)川(=泡盛の銘柄)がある、は、以前、Nさんに教わったことであるが、本島にも河川は少ない。あっても、短く、狭い。そういう状況の中で、比較的、川らしいといえるのが、国場川だろうか。漫湖に向かってみた。湖とあるが、実際には川の一部であり、地図に目を落としてみると、国場川と饒波(のは)川の合流地帯に拡がる比較的広い水面であることが良く分かる。いわゆる干潟でもある。その大部分は那覇市に隣接する豊見城(とみぐすく)市に属している。ついでに書くと、饒波川は本島の北部(やんばる)に位置する大宜味村(おおぎみそん)にもあり、こちらは「ぬうは」または「ぬうふぁ」と呼ぶそうである。もしかしたら、那覇豊見城)の方も、本来は、そうなのかもしれない。
 マングローブというのはある特定の植物(樹木)ではなく、その集合体(群落)を指すと、初めて知った。あとで、いくつかのサイトを覘くと、マングローブの異常繁殖により周辺に悪臭が漂っていた時期もあると書かれている。実際、河畔を歩くと、臭いが・・・と思って、周りを見渡すと、空き缶やら生ゴミといった放棄物がめだち、もとはコッチの方ではないかと思う。対岸にある整備された公園と異なり、コッチ側はなんだか放置されているような状況である。中にある「くじら公園」(こども用の遊器具が設置されている)もあまり使われている様子には見えない、そういうわけだから、樹木が欝蒼というのだろうか、あるいは、むやみに繁殖しているようで、その茂みに、缶やごみを投げやすくしている。
マングローブ?]※向こう岸は整備された公園
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 国場川は、河川の水質の良し悪しをあらわす数値のひとつであるBOD(Biochemical Oxygen Demand=生物化学的酸素要求量)は全国でもかなり悪いという時期があった。現在はというと、そのような看板(案内標識)が河畔にあって、10以下であると表示されていた。同数値はグッピーなら棲める程度との説明もあったように思う。いずれにしても、川自体が「汚されて」おり、あながち、マングローブだけが異臭の原因ではないのであろう。さらに歩くと、「とよみ大橋」という300メートルほどの長さとあるが、渡ってみると、より長く感じられる。とよみは公募で選ばれた名前らしいが、もともと築かれたグスクが「とよみ」(鳴り響く、名高い)城(グスク)と呼ばれ、これが転化して「豊見城」(とみぐすく)になったそうである。(豊見城市商工会サイトより)同サイトによると、三山時代(北・中・南)、のちに南山王となる汪応祖(おう おうそ)が築いたグスクで、漫湖が見渡せる高台にあり、おそらく、中山の拠点である首里城を窺えることを重要視したのであろう。南山はその10数年後に中山王(尚巴志)によって滅ぼされるが、グスク自体は沖縄戦時に破壊された、と、「沖縄コンパクト事典」(琉球新報社編)にある。
[とよみ橋]※豊見城址を望むはずが・・・車が。
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 国道329号那覇東バイパスをさらに東に向かって、歩く。こまめに、日陰で休みながら、ふと、みると、街路樹が黄金色に。ゴールデン・リーフという園芸種のがじゅまる、と案内があったように記憶している。がじゅまるというと数十メートルにも育つ大木を想像するが、こんな(↓)可愛らしいのもある。
[黄金がじゅまる・・・だったか?]
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 ふたつ目の高校(イッコ目は小禄、で、豊見城)を過ぎて、真玉橋(まだんばし)脇へ。1522(尚真46=和暦、大永2)年に創建され、のちに改修が繰り返され、最終的には石造りのアーチ橋になったけれども、これもまた、沖縄戦で友軍(筆註;この場合は日本軍か?米軍か?ちょっと考えてしまった。余談である)により破壊されたとある。(前出、コンパクト事典より)ただし、橋のたもとにある説明書きには、西暦と括弧書きで中国暦が併記されている、と、あとで気づいた。「真玉橋遺構」(enchanting an air of joyous blissより)
 この橋には『七色ムーティー(元結)』という人柱伝説があって、度重なる国場川の氾濫に困っていたところ、子年生まれで、七色の元結をした女性を人柱にせよという神女のお告げにしたがって、該当者を探すが見つからないけれども、神女が該当していると知り(気づき)、彼女を人柱にするというお話。「物ゆみ者や 馬ぬ さちとゆん」(おしゃべり者は、馬の先を歩いて災いをまねく)は、神女が娘に遺した「どんなことがあっても人より先に口をきいてはいけない」という言いつけを守り、娘は以来、一切言葉を発することがなかったことに対して、村人たちが戒めとした句である。「豊見城の民話」(豊見城市商工会)ただし、続きがあって、それが、『真玉橋由来記』(沖縄の芝居)というお芝居であるらしい。もとは、「長良川の人柱」という入江光風(いりえ こうふう)さんという方の作品だと、前記サイト(沖縄の芝居)にはある。また、コンパクト事典では岡本綺堂氏の『長良川』がモデルと記されており、「綺堂事物」というサイトに綺堂氏の『全著作リスト』というページがあって、その中に、『長柄の人柱』(歌舞伎という雑誌に発表、1928=昭和3年)というのがある。後者は半七捕物帳などで有名な脚本家・小説家、前者については何も分からない。また、岐阜県海津町の民話に「若宮さま」というのがあり、これにも似ているし(人柱は男性であるけれど)、他にも長良川に関わる人柱伝説があり、また、全国各所に流れ注いでいる幾多の河川にも、いくつもある伝え話なのであろう。琉球芝居として初演されたのは1935(昭和10)年、役者・俳優でもある平良良勝(たいら りょうしょう)氏が書き下ろしたというのは、間違いないようである。
 今、眼前の川は、ごく静かに、穏やかに流れている。
 神女や琉球の民がその下に眠っている。