夜の太陽(ミッドナイト・3)

 白夜のことである。
 引き続き、夏目漱石氏の『三四郎』を引っ張り出すと、美禰子と三四郎が今時分の時節に逢瀬していたのであれば、という身勝手な想像をしている。サマータイムの導入可否についてという話題があって、賛否両論があることは知っている。大雑把にいうと、夏と冬では3〜6時間程度、日の出ている長さが異なるらしい。東京でいえば、夏は日出4時半頃〜日入19時頃、冬は5時前〜16時過ぎ、日の長さでいうと15時間と10時間であり5時間の差がある。少し自慢話をする。エーゲ海のある島に滞在していて、相部屋した人が先に島を出るというので、早朝の船に乗るため、宿で見送った。と、数分後に彼が「今日からサマータイムで、もう船は出ていた」と戻ってきた。わたくしたちには、そのような習慣がないものだから、まったく気がつかなかったのであるが、その日より時計が1時間だけ進んでいたのである。出港時間が5時であることには違いはないが、昨日時間でいえば、(今朝)見送り見送られたのは5時前であるけれども、今朝時間では(わたくしども以外では1時間進めているので)6時前ということになり、もうとっくに(5時発の)船は出ていたことになる。サマータイムの効果は1時間進めることで、長くなった日(昼、デイライト)を有効に遣おうということだそうである。ただし、弊害もあるとのご意見もある。そのことは、どうでもよい。この時季は明るい「夜」時間が長いということである。
 もし、での話しであるけれども、「もし」夏まつりのあとか何んかでもって、藍染川に(ひょっとしたら)心地よい涼しい風が二人をそそのかしたりして、もう少し、川面をみていたのなら、三四郎と美禰子は、と、ぐずぐずと考えているに過ぎない。その前に、三四郎という男のことを考えなくてはいけない。(美禰子のことは分からない。)
 熊本(在籍していた高等学校の所在地、生まれは福岡県京都郡とある)から上京するおり、名古屋で『同部屋』(相部屋ではない)となった女性に、「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」といわれて、プラットフォームの上へはじき出された心持ちになった三四郎のことである。三四郎がその(美禰子の)呼吸(いき)を感ずることができたと謂う直前に、彼は、こんなことを思っている。
 『空はまた変ってきた。風が遠くから吹いてくる。広い畑の上には日が限って、見ていると、寒いほど寂しい。草からあがる地息(じいき)でからだは冷えていた。気がつけば、こんな所に、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人なら、とうにどこかへ行ってしまったに違いない。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。』
 〓徊(ていかい)である。
辞書には、こうある。
【〓徊−趣味】夏目漱石がとなえた文学上の立場。人情の世界に自分が直面することなく、ちょうど舞台の劇をみるように、第三者として世の中をみるところに美の世界が成立するという。『草枕』にみられる「非人情」というのも、これと同じ。
 漱石氏はわざと、三四郎にそのような役割を演じさせている。人情社会(世間)では、これを、『あなたはよっぽど度胸のない』といわれる。結末は三四郎が望んだことではなく、漱石氏がそうしたかったからである、と考えると、日の長い夜に逢瀬すれば、と、やはり、想うのである。ただ、それ以上の穿鑿(せんさく)をするつもりはない。
 団子坂からペテルブルクに移る。ドストエフスキー氏の小品文に『白夜』がある。最初に訳者である小沼文彦氏のあとがきを引用する。(角川文庫、二十九版)
《・・・そうした若い『空想家』が人の心を狂わせる、ゴーゴリを狂死させ、プーシキンを狂喜させ、そしてまた都会の作家ドストエフスキーがこよなく愛した神秘的な白夜のペテルブルクで、・・・》
 『使徒ペテロの守護する街』はそういう雰囲気をもっている。在サンクトペテルブルク日本国総領事館のサイトを参考にすると、ペテルブルクの白夜は、夏の約50日間。5月25・26日頃から始まり、日照時間最長は6月21・22日頃(日の長さ18時間53分)、終了は7月16・17日頃、とある。上記、東京の夏時間に比して4時間ほどさらに長い。
 私(ぼく)とナースチェンカの逢瀬は白夜に行なわれる。ぼくは、ペテルブルクならばごく当たり前にいる26歳の青年である。同作品は彼の四夜を語っている。たいへん、早足で説明すると、(第一夜)酔っ払いか何かに絡まれそうになっているナースチェンカを助け、(第二夜)再会を果たして、少しづつ身の上話を語って、ナースチェンカという名前であることも、17歳であることも、同居しているお祖母さんに自分がピンで留められている(箱入状態)ことも、ピンを外して、或る日突然現われた間借り人に恋することも、その人(男)とは1年後の結婚を約束して、男はモスクワに職を求めにいき、昨夜が1年と2日目だということも、ぼくに、話した。(第三夜)昨夜託された手紙を男のアドレスに届け、この日も『10時』にナースチェンカと『逢う』。しかし、男からの連絡はない。『明日はきっと来ますよ』とぼく、『そうね』、明日が雨だったら、明後日は(ナースチェンカが)出てきます、そして、最後に、『これからはもう二人(ぼくと彼女)はいつも離れっこなしね、そうじゃありません?』とナースチェンカはいって、去った。そして、4日目は雨、ぼくは9時には例の場所へ行って、例のベンチに腰をおろし、彼女を待ち、家の前まで行ったけれども途中で恥ずかしくなり、引き返した。・・・『もしも、天気さえよかったら、夜っぴてでもあのあたりを歩きまわったのに・・・。』第三夜は4日目時点において書かれた設定となっており(昨夜は私たちの三度目のランデヴーだった、私たちの三度目の白夜だった、とある)、(第四夜)は実質5日目となり、有名な『ああ、すべてがこんな結果に終わろうとは! なんという結末をつげたことか!』で始まる。男は現われず、とうとう、ぼくは告白をし、ナースチェンカも応えた。明日から一緒に住みましょう、と。以下、引用する。
 『明日にも、ナースチェンカ、明日にもさっそく。部屋代がすこしたまってるけれど、なにそんなことは構いやしません・・・。もうすぐ月給日ですから・・・』
 『あのね、もしかしたら、あたし家庭教師をしてもいいわ。自分も勉強して、子供たちの勉強をみてやることにするわ・・・」
 『そう、そいつはいいですね・・・ぼくだってもうじきボーナスをもらいますからね、ナースチェンカ・・・』
 『それじゃ明日からあなたはもう家族の一員ね・・・」
 ただし、第五夜はない。
 私(ぼく)には彼女の家の周りをいったりきたりという意味でのテイカイはあるが、三四郎のような〓徊をみることはできない。むしろ、その逆方向で、極端なほど主観的でさえある。第一人称はドストエフスキー氏の特徴といってしまえばそれまでであるけれども、その前に、まるで霧が深くたちこめたような幻想的なペテルブルクの白夜がある。白夜というのはあながち明るい夜ではない、むしろ靄々とした明るさであるから、心も、もやもやしている、〓徊させようとしても、(それに)抗う気もちが一方で強く作用する。したがって、第一人称に陥っていく。私、ぼく、わたくし、という身勝手な、しかし、幸せな(と錯覚している)世界に没頭していく。(その意味では〓徊の一部である=沈思でもあるけれど、その配合比率はしごく低い)
 『白夜』には第三者の科白(せりふ)がほとんど皆無に近い。それゆえ、ナースチェンカの存在さえ、証明する術もなく、私(ぼく)のアリバイは成立していない。言い換えれば、ぼくの告白(モノローグ)に白夜という作品自体がすべてを縁っている。『白夜』にはふたつの副題が、一つは「感傷的ロマン」、そして、「ある夢想家の思い出より」が副えられている。『三四郎』の候補主題として「平々(地)」というのがあるそうで、前者は土地あるいは風土を主題として選び、後者はそれを敢えて避け、人情を択んだ。「平々」とは「のっぺらぼう」であり、この作品の、やはり主題ではないかという想いもあるけれど、前者は〓徊趣味(主義)ではないにも拘らず、白夜という第三者を主題とした(本来はある夢想家の思い出ではないのであろうか)、後者はというと第一人称を、敢えて、主題に択んで、テイカイに挑んでいる。そのようなことを、つらつらと想いながら、さらに、夜について、考えている。
 拙ブロ「暗闇で饅頭を喰う(ある神秘論)」(05年11月21日付)で書いたけれども、まだ、暗闇に饅頭の神秘さについては、さっぱり分からない。仮に、暗闇にミネコと置き換えたらどうなのかと、勝手に加工している。あるいは薄暮、あるいは白夜(ナースチェンカ)であったのならば・・・とも。
 ただし、いつまでたっても、神秘さには近づけないのであろうと、もうとっくに、答えは、わたくしの中にある。