サンクトペテルブルク

 平井の「最勝寺」やその出自を訪ねた本所辺りをほっついていると(拙ブロ三郎07年5月15日付)、橋が(わたくしの)小さな脳及び心でさえ、刺戟を受けてしまう。『橋』というものは見方によってはまるで反対方向の解釈になってしまう。向こうとコッチをつなぐモノという考えに立てば、それはそれで幸せなのであろう。あるいは、逆に両方を裂くモノ、または、侵入を促すモノと思えば、悲しい。いずれにしても、此(コッチ)とムコウ(分かれている側、ha=派、もしかしたらhaでなくhi「彼」かもしれないけれど)との間に存在している。したがって、ここでは別れもあり、出逢いもあり、当然、いずれもが交錯している場合もある。ただし、小心・猜疑モノ及び高所恐怖症でもある、わたくしは、やはり、橋は武器、怖ろしいものという立場をとっている。橋を壁に置き換えても良いかもしれないが、本日は、橋に限定してみたい。壁についても、いずれ、書き留めたいと思っている。かつて、江戸の町は八百八町、京の都は八百八寺といわれ、そして、大阪(大坂)は八百八橋であった。当然ながら、実数ではなく、それほど多い、あるいは、そのことが「街」の特徴をあらわしているということである。九十九里浜(千葉県)、九十九島長崎県、大昔は秋田県にもあった=象潟)、千里が浜というたいそうなのも各地にある。もっとも、万里のというのがあるぐらいだから、わたくしどもは、まだまだ規模が小さい。江戸時代の大坂には実際200の橋があったという。それが、1983(昭和58)年に「念願」の808に追いついたとある。『水の都・大阪港のあゆみ』
(他に大阪の橋については、佐々木博昭氏のサイトが充実している)
 気になったので、主な都市の橋の数を知ることができるサイトがないか調べてみた。やや古いが2002年のデータが見つかった。『橋奉行の会』のデータを引用すると、予想どおりというのだろうか、日本国内におけるδ(三角州)都市の代表である広島がもっとも多い。全体に西高東低、橋の町であるはずの大阪は意外と少ないが、それでも看板(八百八橋)に偽りはない。
 主な都市の橋の数(2002年4月1日現在)
広島市 2,604
京都市 2,373
神戸市 2,091
北九州市 2,079
福岡市 2,056
横浜市 1,650
名古屋市 1,299
札幌市 1,115
仙台市 1,085
大阪市 839
川崎市 615
東京都区部 493
千葉市 395
(他に大都市統計協議会のサイト『大都市比較統計年表(平成16年)』版にも構造別に掲載されている、05年4月1日現在)
 ついでに、東京23区についても調べてみた。こちらは東京都の資料(06年4月1日現在)によるが、もっとも多いのが葛飾区(54)、以下、江東区(41)、江戸川区(40)、世田谷区(38)、中央区(33)、大田区(30)など、川に面した区という、尤(もっと)もらしい順番で並んでいる。もっとも少ないのは文京区の「1」であり、また、荒川区(5)、台東区(7)というのは予想外である。そのカラクリは、都の資料の中には国が管理する国道に架かる橋が含まれていないためであり、実際には隅田川、荒川、新中川、江戸川などを有す東側の方には、より多くの橋が存在しているはずである。もちろん、板橋区も少ないと怒っているのであろう。
[東京23区の橋数」 
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 ロシヤ第二の都市サンクト・ペテルブルク(聖なるピョートル・ペテロの都)もその生い立ちからして、橋の多い街である。在サンクトペテルブルク日本国総領事館のサイトによれば、市内に340以上の橋があるというけれども、実際には、それ以上、存在するのであろうか。遡ると、17世紀末にピョートル一世がオランダを模範として、新たな街づくりに臨んだ結実である。ネヴァ(ニィヴァー)という、いかにも、それらしい、泥々しい名をもつ大河とフィンランド湾とがぶつかる辺りを眺めながら、大帝(一世の別称)は当時、絶対的な勢力を誇っていたスウエーデン王国との闘いを見すえながら、何を想っていたのであろうか。
 『使徒ペテロの守護する街』については次回以降で少し、続けて(途切れ途切れかもしれないけれど)書きたいと思う。(雑に)