37年前

 拙ブロ「悲惨な銃による斃死」(07年5月9日付)を書いているあいだ、その事故が起きている(5月5日)。大阪万博記念公園内のエキスポランドで起きた悲惨な事故、そして、それによる斃死である。これについては、もうフェイルセーフ以前の問題であり、不思議なことに各報道(ただし、ネットのニューズ)にはあまりみられないけれども、個人の方々のブログなどでは、殺人というご意見も多く、また、それに反論するだけの根拠は誰にもなかろう。
 37年前(1970=昭和45年)、わたくしも、そこに行き、夢を見させていただいた。当時というのは、まだ、なかなか世界を覗くことのできない時代であったように思っている。まして、わたくしのようなイナカ育ちには世界というのは「他所」のセカイのように間遠く、トカイの子と違い、その一端にふれる機会、道具も圧倒的に少ない、いえ、皆無に近かった。本があるではないか、というお叱りを受けるかもしれないが、そういう本屋がないという事情もある。もちろん、今のようにコンピューターなどあるはずもなく、ついでに言えば、エレベーターも自動ドアもない、それが、わたくしの70(昭和45)年であった。だから、万博は「夢の世界」の鳥羽口であり、大仰にいえば、世界への原点でもあった。といいながら、以来、そこを訪ねることがないけれども、同じ万博公園内に民族博物館(以下、民博)がある。同館のサイトによれば、今年30周年を迎えるとある。(開館は77=昭和52年)ただし、入館者数は逓減している。同サイトに掲載されている84年以降の記録をみると、1日当たり1400人が500人台(03年)にまで低落している。わたくしが行っていないのも、その罪の中にある。テーマパークというのがあるが、民博には限られた「テーマ」は存在しない。あえていえば、「世界」ということになろうが、やはり、それでは、テーマ(主題あるいは主旋律)にはならない。ある意味、民博は「雑」博なのである。只今はというと、興味・関心のあることにしか目が向かない雰囲気にあるものだから、なおさら、向かい風である。だからというわけではないと思うけれども、某サブロウのランドは200万が100万に利用客が減ったといえども、追い風を求めた。そこに問題が包含されている。