悲惨な銃による斃死

 その日(07年4月17日)、晩く、空港に着いて、街へ入った頃、平日とはいえ、静かな空気に戸惑っていた。人口40万を超える都市の繁華な街にしては、と。前回訪ねた際の夕暮れとはいえ華繁な様子がみられない(感じられない)。宿の部屋に落ち着き、メールチェックのついでにネットを確認することで、惨事を知った次第である。たった1時間前に前市長(正確には、その時点では「現市長」)が撃たれたのである。
 手許には翌朝、市内・浜の町アーケード街で配られていた号外が残っているので、検めると、4月17日午後7時50分ごろとある。夜半(18日午前2時28分)に亡くなられている。

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 ただし、わたくしは、その背景・原因については、まったく関心がもてず、性善説性悪説について、考えをめぐらすのみである。わたくしどもは、どちらかといえば、前者の善意のような社会でもって暮らしている。「世の中、捨てたものではない」という前提に立って、何もかもが回っている、と、あらわしてもよいのであろう。わたくしのように、小心で、猜疑心がことのほか強いモノからすれば、妄想としか思えないのであるが、それでも、酩酊熟睡状態のオジサンを周りの見知らぬ乗客たちが気遣ったり、銀座の通りで落し物をした人に、その旨を伝えたりしている光景を目撃すると、セイゼンセツという妖しげな気配に襲われたような気分になってしまう。もしかしたら、夜帰行の通勤電車においては、そのような「繰り事」がオッサンとその他乗客の「日常関係」なのかもしれない、あるいは、落し物は落とし主にというごく当たり前で、つまらない数式にこだわっている所為かもしれない。
 プライバシーというのは恐らく、旧(だいぶ旧であるが)公団住宅の売り文句ではなかったか、もちろん、その原型(モデル)はアメリカ的住宅である。わたくしは、アメリカに住んだこともないし、そのつもりもないけれど、個室という概念を確立しているということ程度は承知している。個室というのは、鍵でもって、各室を区切っていることであり、わたくしどもが、兄弟と(あるいは親、祖父母、その他の人?)と雑魚寝しているのとは次元が異なっていたから、60年代(≒昭和30年後半〜40年代前半)に受けた。同時期に流されていたアメリカのドラマの影響もあり、全体(住戸)面積としては、「狭いくせ」に、個室化を展開してきた。しかし、根本で向こう岸とは個室の意味合いが異なっていたと思う。人的流動が頻繁で、それゆえにストレンジャー(見知らぬ顔)が一般的な向こうでは、プライバシーを守ることより、家族(特に非力な子供)を護るための手段として、(鍵のかかった)堅牢な個室が必要であったと解しているが、わたくしどもには、その用(必要性)も乏しく、むしろ、手に余った。(子のための個室化≒若年者の犯罪増加というお門違いの図式がまかり通ってもいる。)そもそも、向こうにとって個室は『自由な国家の安全にとって必要であるから、「民兵」、「人民の武器保有及び携帯の権利」』(アメリカ合衆国憲法修正第二条の文言を組み替えた)と同様と考えることもできる。わたくしどもとは危機管理の度合いが異なっている。長くは書かないけれども、わたくしどもにも「住まい(居)」を護ろうという歴史はあって、城郭や城砦もそうであるが、市中には木戸というものもあった。もっとも大きな「護り」は『封』(封建、・・・)と『鎖』(鎖国、・・・)であろう。しかし、お城はともかくも個人(人民、庶民)の居が自前でもって、護ることはなかった。つい十数年前まで、地方では鍵をかけずに出かけるお宅も少なくなかったように、誰もが、お国の護りを信じていたし、セイゼンセツに頼っていた。只今は事情が変わっている。そういうことを、今回の事件により、改めて、感じた。世の中は性悪説であるということをいいたいのではない。フェイルセーフである。「人や機械は間違い(ミス)を起こすのが当たり前であるから、それに備えておく必要がある」というのが大まかな意味合いである。「備え有れば憂い無し」とも異なる。あえていえば、その備えを二重にも三重にも施しておくことを指すのかもしれない。法律、規程はさておき、備えを十分にしておいたらと、それによって、防ぐことができたかどうかは分からないが、はなはだ勝手な言い分で申し訳ないけれども、通りすがりのモノとして、痛惜の念が重い。
 同時期に起きた海の向こうの「悲惨な銃による斃死」には、ふれることができない。上記のように、ムコウには条件付きとはいえ、自由に銃を買うことのできる社会の仕組みがあるからである。もちろん、銃によって斃れた方々への哀悼の意については、向こうもこっちも変わりはない。

↓拙ブロ内フェイルセーフ関連↓
曖・昧・味(I MY ME)05/6/10付
うだつ(〓・卯建)05/6/12付
再びフェイルセーフ06/1/3付
ある湯治場06/2/11付

 初夏のハバロフスクから『六花22号』(2007年春号)が届きました。これから来月にかけて、彼の街は、1年中でもっとも穏やかで、とても素的な時節を迎えます。ぜひ、ご一読ください。