三山

 蓬莱、方丈、瀛(えい)州を三山という。これは、徐福伝説の話である。司馬遷の『史記』には、以下のように記されている。
 《齊人徐市等上書言 海中有三神山 名曰蓬莱 方丈 瀛洲・・・》(『古代史獺祭』[こだいし だっさい]より引用)三山は渤海の中、あるいは同海より東方にあると伝えられている。渤海とは7世紀末(または8世紀初頭)から10世紀にかけて覇権を有していた国のことではなく、現在の中華人民共和国山東半島および遼東半島に囲まれた内海(湾)をさす。現在の西安長安)から北西20キロにある秦の都「咸陽」からでは、東京〜屋久島程度の距離(1000キロ)に相当しており、その海は往時の尺感に頼れば、やはり、かなた先のことになるのであろう。(もっとも、始皇帝もその岸に立っているらしい)蓬莱は日本各地に伝わっていて、そのことについては、すでに述べた。(拙ブロ「不老不死」07年4月5日付)瀛州はというと、チェジュド(済州島)でもって徐福にまつわる話が伝わっているらしい。ちなみに、始皇帝の姓を「〓(えい)」という。手許の辞書には、余る、満ちるとあって、秦氏の姓ともある。もう、ここまで字体というのが、それぞれ意味をもっていて、複合化されていると、総体としての意味がまったく分からない。むしろ、海とか、美といわれた方が分かりづらいようで、解る。それはともかく、〓に〓(さんずい)を付すと、瀛となり、これに海という意味もある。方丈についてはよく分からないのであるが、渤海(あるいは東海上)のほぼ中央(方丈)にあったといわれている。まさかねェと思いながら、北条(氏)まで、回らない頭を廻らしている最中にある。
 『列子 湯問』の中に以下の文章がある。
湯又問:「物有巨細乎?有修短乎?有同異乎?」
革曰:「渤海之東不知幾億萬里、有大壑焉、實惟無底之谷、其下無底、名曰歸墟、八絃九野之水、天漢之流、莫不注之、而無筯無減焉。其中有五山焉:一曰岱輿、二曰員〓、三曰方壺、四曰瀛洲、五曰蓬〓。・・・」「WIKISOURCE;維基文庫,自由的圖書館」より引用(以下、拙訳)
《殷の湯王が太夫の夏革にあれこれ訊いている(湯問)中の一節である。湯、再び問う:物(自然界?宇宙?)には大きさや長短、それぞれに違い(特性?)があるのか?、はぁ(と夏革)、渤海のはるか東方に帰墟という底無しの谷(海、あるいは、海溝か:筆註)があり、この世のあらゆる水や天の川(天漢)の流れまでも吸い込まれておりますが、谷の水かさは増えも、減りもしません。その谷中に岱與(たいよ)、員〓(いんきょう)、方壷(ほうこ)、瀛洲、蓬〓という五山があります。》さらに、不老不死云々の話が続くのであるけれど、新たにふたつの山が加わっている点が気になる。(方壷は方丈と同じ)違訳ついでにいえば、(夏)革は無限界のことを示唆していたのではないかとも思うし、そうではなく、はるか彼方に神仙があることを教唆していただけのこと、それこそが方士の本筋かとも、さらに曲解できる(いずれにしても、禅問答のように難解で、一筋縄ではいかない)。「列子」については、その信憑性が揺らいでおり、『徐福霧のかなたへ』(程 天良氏 著、池上 正治氏 訳、第一書房)でも著者が徐福「伝説」を神話化してしまったと嘆いている。
 京都駅からJR奈良線あるいは京阪本線に一間だけ乗ると「東福寺駅」に着く、南・東に向かって、変哲のない住宅時々店舗の小径を歩くこと10分程度か、駅名の本(もと)となっている「東福寺」へと到る。こちらは京の五山ともいわれる。(他に、天龍寺相国寺建仁寺万寿寺大文字焼きの五山とは異なる)同寺のサイトによれば、1236(嘉禎2)年〜1255(建長7)年というから、20年近い歳月をかけて造営されたとあって、たいそう広い、立派な庭園が布かれている。(ただし、庭園は後年に造作を加えられている)凡なわたくしは、紅葉で名高い通天橋ばかりに気をとられている(もっとも、訪ねたのは冬であるが)ものだから、記憶が薄いのであるけれど、南庭を「五山八海」という。八海とは列子(湯問)の前段にもある「四海、四荒」(その外側には、さらに四極が在る)のことであろうか。蓬莱、瀛洲、壷梁(こりょう)、方丈の四仙(島)をあわせて、九山八海(くせんはっかい)とも呼ばれ、日本式庭園の代表的なモジュールのひとつである「須弥山(しゅみせん)式石組」のことなのであろう。
 古代インド仏教の領分である。
 もう、ここまで進む(遡る)ことは神話あるいは思想の世界に入り込むことになり、それを司馬遷は避け、あくまでも伝説に留めたのであろうか。改めて、地図を眺めていると、南海島(NAMHAE−DO)が飛び込んできた。プサンから西へ100キロほど進む。何の根拠もないが方丈のことがちらついている。同島(南海郡)サイトの一点仙島という言葉が輝いてみえる。やはり、徐福伝説が燻ぶっていて、その香が芳ばしい。これから発てば、翌朝の陽を浴びて、夕陽に送られながら、夜半前には戻ってくることができるのだろうか。そういう妄想を具体化してみようかという気分にもなる。(5日午過;記)