味噌

 久しぶりに、《雑食》カテゴリーで書く。したがって、このテにおける、わたくしのバイブル(経典)を先ず紹介しておくべきだと思う。『NIKKEI NET 食べ物 新日本奇行』である。
 おそらく、6月2〜3日に予定されている「第二回B級ご当地グルメの祭典〜B1グランプリ」に備えていらっしゃるのであろう、主催団体となった「愛Bリーグ ジャパン」(ジャパンということは、いずれ、B級的組織を世界に広げるつもりなのであろう)の顧問でもある野瀬泰申氏の『東海道暴れ食い』が連載されてもいたが、どうも、無事?三条大橋に着いたらしい。この中でもBグルメの話題にふれられているので、ぜひ、わたくしもうかがってみようかと思って、宿の手配をと冷やかしてみると、すでに満室であるという、富士宮の街は「もう」アツクなっている。( ^^) _B~~
 一体となってアツクなっている同サイトに『食べ物 日本地図』というのがあって、さまざまな食べ物に関して、地域性を分析していらっしゃる。わたくし的に現在、進めている「納豆」関係もある。ナットゥについては、いずれ、また、かき(書き)混ぜたいと思う。これからは味噌の話である。わたくしでいえば、どのようにも出自(大げさであるけれど)を隠すことは可能ではあるが、ただ、味噌の好みを訊くような有能な審問吏に当たったりすると、お手上げである。それほど限定的な味噌世界に生まれた。残念ながら、上記、新日本奇行には味噌マップは現時点で存在していないため、他をあたることにした。八丁味噌の製造元である「角久(カクキュー)」ブランド(まんま、合資会社 八丁味噌という会社である)のサイトに『味噌の知識』というのがあって、[全国みそマップ]がある。ただ、沖縄だけが省略されている点が気になり、暇なようだけれど、少し、加工して、作成し直してもみた(末尾に)。沖縄については、那覇の山羊料理屋さんで、ほぼ毎日戴いていた「アンダー(豚脂)・ンスー(味噌)」を思い浮かべると、赤と白の中間をやや赤にこそっと寄せた程度であったかなぁというのでは、あまりにも根拠が薄いため、手許の『オキナワ式食生活革命』(飛鳥新社)によって、通常は米を用いるということを確認もしておいた。
 味噌の出自もはっきりしていない。全国味噌工業協同組合連合会「みその知識/みその原点」によれば、紀元前に中国で盛んに使われ始めた「醤」(ひしお)、「〓」(くき)が源であり、これらは紀元前には日本にも伝わったというらしいが、味噌の方は、どうもいつかが分からない。少し、下って、701年にその年から始まる和暦をとった『大宝律令』制度ができたが、その中に、味噌と思われる言葉があらわれているらしい。(上記、全味工連サイトによる)
 末醤(まっしょう)である。
MAT´-SHOが未醤(MI-SHO)、そして、´H´がいつのまにかとれて、MI-SO(味噌)でおそらく良いのであろう。
 律令については、『官制大観』を参考にさせていただいた。宮廷のさまざまな官職の中に「大膳職(だいぜんしき)」というのがあって、廷内で働く人の食事を賄う役である。別に内膳司(ないぜんし)があって、こちらは、畏れおほき方の供御(お食事)を担当すると書かれている。ここではふれない。大膳職をさらに下っていくと、「勾当」(こうとう)とあって、括弧書きでもって、「(主醤(ひしおのつかさ)」とある。同サイトをさらに下方にたどると、『醤院(しょういん)』にいきついた。以下、引用させていただく。
《大膳職の別館で、醤〔ひしお〕を担当します。これを管理する役を『勾当〔こうとう〕』と言い、大膳亮などが任じられます。(※養老令の規定では『主醤〔ひしおのつかさ〕』が2名、その役を担当していますが、後に廃止となり「勾当」が置かれます。)
 引用文にある主醤という官(役)職の者が、醤などとともに、みそ(末醤)を扱っていたようである。末醤については、こちらはどちらかというと、醤寄りであるキッコーマン」のサイトから拝借しよう。
《平安中期に書かれた『延喜式』では、「末醤」「味醤」を「みそ」と呼び、醤(ひしお)が発展したものと考えられます。末醤はその後16世紀に「味噌」(噌は日本の造字)となった、といわれています。》
醤の末なのだから末醤ということなのであろうか、ただ、未醤とも表記されている場合もあり、これでは、工程が逆になってしまう。いずれにせよ、今から1300年前には主醤のちに勾当が味噌を拵えていたようであるけれども、わたくし的には、長く辛い船旅を覚悟しているのだから、徐福自らの好物でもあり、万が一の保存食用にと「醤」の職人を一人二人は百工の中に入れておいたのであろうと思ってしまう。
 仙台の官庁街に勾当台公園(地下鉄の駅名でもある)という豊かな緑があるが、こちらは味噌造りとは関係はないらしく、伊達正宗がご贔屓の狂歌師である花村勾当に与えた屋敷跡が由来のようである。「せんだい旅日和 スタッフだより」。花村師もそうであったけれど、盲目の人たちは、当時、篤い保護を受けていたらしいが、階級もぶ厚く、「検校」(けんぎょう)、「別当」(べっとう)、「勾当」(こうとう)、「座頭」(ざがしら・ざとう)とあって、さらに、細かく分かれていたらしく、本当に篤く護られていたのかどうか、心配でもある。
 さて、みそマップである。できることなら、より精度を高めるため、みそ行脚をしてみたいと妄想している。
【全国みそマップ(手前味噌版)】
20070426004232.png