孳孳

 今頃になって、頂いた年賀状に対する返信を書こうと思っている。一昨年あたりから、賀状をほとんど書かなくなり、本年(昨年に書いたの)は五葉のみ、そういう、わたくしであるが、書いた以上の枚数をいただいているので、何とかしなければいけないのに、何ともしていない。この週末あたりから、春のご挨拶として、お礼を兼ね、出そうと思い、頂戴した分を整理していると、イノシシ君の絵柄がたくさんあって、本年の干支を確認できた次第である。以前にも書いたが、わたくしは、未だに干支がスムースに諳んじることができない。ねぇ〜・うぅ〜、ぅ?・・・程度で必ず淀んでしまう。今、調べてみると(調べないと分からないので)、イノシシ(亥)君で一巡するようであり、来年は、わたくしにも「言える」ねぇ〜(子)に戻る。前述(↑)、春のご挨拶状に関しては、結構こだわっていて、どんな葉書にしようかであるとか、ああ、そういう手のモノであれば、どこそこへ行って、買って来ようかとか、ついでに、どこそこで一杯とか・・・・そのような算段だけは得意のようである。その意味においては、標題の孳孳(し・し)ともいえるのであろうか。「孳」は滋賀県の「滋」と同じ意味がある(滋る、茂る、繁る・・・)。また、手元の辞書によれば、「人が子どもを、どしどし産む」ともある。(過激。確かに、子が下にいますが)孜孜(しし)とも書くが、こちらにも子が横たわっている。全体(総体)としての意味は『せっせと励む(頑張る、努める)』ということで、孳にも孜にも、そのような意が含まれていて、あわせて、孳孳(孜孜)汲汲(きゅうきゅう)ともいい、その汲も同様ではあるけれど、汲汲とする・・・というように、あまり誉められた表現ではない遣われかたもする。御礼のための葉書をどうするかといった所作は、つまるところ、呑むための口実でしかないことは明らかであるから、わたくしには、孳孳も、孜孜も、汲汲も、結局、関わりの一切ないことなのであるが、前ブロつながりで書けば、それらの有る無しが誤算の有る無しの差にあらわれているのであろうと思う。もちろん、誤算有りのほうが良いに決まっている。
 賀状を調べているうち、葉間に挟まっていた(正月に参加した)中三の同級会名簿を眺めてみた。(五十音で決められていた当時の)わたくしの出席番号は16。