誤算

 普通に考えれば、誤算の前提条件として、計算が必ず存在するはずである。しかし、日常感覚的には、前もって計算していない場合においても、「誤算」と思うことが多々ある。ただし、この場合は、そう(誤算)あらわして良いのかどうか、分からない。誤算の反意語というのは知らない。今まで、そういうことを意識していなかったからか、本日もいくつか誤算があったと感じているけれども、本来の意味からすれば、この表現は誤った遣い方をしていることになる、何せ、なぁん〜にも計算して(考えて)いない状態での話であるから、やはり、誤「算(考)」ではないのであろう。嬉しい誤算という表現もある?、しかし、これにも、「算」が前に置いてなければ、やはり、成り立たないのであろう。わたくしの場合、ほとんどがそういう(算なし)状態であり、周りの方を困らしているのかもしれない。といって、計算高いという言葉があるが、「わたくしは、そうではありません」と威張って(自慢して)いるつもりはない。単に、計算が無いだけのことである。所用での会議中、ある方(パートナー)が「観光カリスマ百選」には理科系出身が多いと言われた。「」というのが、わたくしの、言葉にならない(そのとおりという)想いであった。要約すれば、理系の人は物事について、その探究心が強いというのか、よ〜く考えるということであろう。その夜、別の場所で、秀でたモノ書きさんには理科系が多いという、何の根拠もない言い草をしたけれども、これもまた、ザッツライトだと、勝手に思っている。ではと、大学だけの統計であるが、理系と文系の在学者比率を調べてみると、35:65とあり、ややブンケイのほうが多く、酒呑みには、やや薄めの水割り配分に近い。(平成18年度:学校基本調査文部科学省)少し、長いが、項目(学科)ごとに記すと、以下のとおりに区分されており、上記割合は、理学〜商船の分(約78万人)と人文・社会科学および教育を加えた数(約147万人、下記※印)の比較である。
[学校基本調査の区分]
理学(数学、物理学、化学、生物学、地学など)
工学(機械、電気通信、土木建築、応用化学、応用理学など)
農学(農学、林学、獣医学畜産学、水産学など)
保健(医学、歯学、薬学、看護学など)
商船
※人文科学(文学、史学、哲学など)
※社会科学(法学・政治学商学・経済学、社会学など)
※教育
?家政(家政学、食物学、被服学、住居学、児童学)
?芸術(美術、デザイン、音楽など)
(除)その他(教養学、総合科学、教養課程、人文・社会科学、国際関係学、人間関係科学など)
 ここで問題となるのは、?マークの家政と芸術をどちらに振り分けるかであるが、上記振り分けの基準とした、東京大学の文科(一〜三類)と理科(一〜三類)の区分にも、この2項目はないので、悩むが、わたくし的には、リケイに属すので、そちらに振ると、ブンケイ濃度はより薄くなる。(その他は文・理いずれにも該当するので除外した)また、ブンケイに含んだショウガクやケイザイなど本来はリケイではないかと迷ったり、これは、もう確信のような気もちで、哲学はリケイといった念もあるので、四分六も怪しいことになり、見かけ(データ)よりはリケイ比が高まるはずである。ちなみに1970(昭和45)年のデータと比較してみても、その差はよく分からないけれど、昭和初期段階まで、ブンケイに進むこと自体、_(._.)_ゴメンナサイの時代が長く続いていた、とも聞く。やはり、学問の基はリケイであって、ブンケイが威張っているようではいけないのであろう。上記割合はあくまでも学部学科で分けているけれども、わたくしが哲学は理系と思いこんでいるように、肝腎なのは、どれだけ計算(思考)しているかどうかということなのである。ソース顔とショウユ顔については個々の好みにもよるけれど、リケイ頭とブンケイ頭では、前者の方に分があるように思う。以上だけでもって、すべてにおいてリケイが良いとは断言できないけれど、少なくとも、わたくしのように、何も考えずにいると、本来の意味するところの誤算も何も、そういう心配は一切不要であるけれど、失敗は成功の素ということもある、これにも全く縁がないことも確かである。(^文^)
本夜は十五夜月である。