牛乳離れ

 という記事を見た。なるほど、消費量は減り続けており、「バナレ」が進んでいることは確かである。そのために、ペットボトル詰めもありかもしれない。でも、その前に、バナレは飲む側の事情ではなく、むしろ、詰め側にあるのではと思うのであるけれど。現在、「生産」されている牛乳のほとんどは「牛の乳」から、どんどん離れていく気がしてならない。栄養分の補給のためにと、大量生産、広域販売が進んだ大昔(40年ぐらい前)と異なり、消費量は当然減る(少子化で学校給食もあてにならないなど)にしても、只今は、保存方法も多様化、高度化しているのだから、折角、酪農家の方が丹精込めて育てた「牛さん」から搾った乳を、わざわざ、素から離れていくようなモノに変えてしまっていることに、疑問をもつ。もちろん、ペットボトルにさえ異論、無理難題を押し付ける役人たちのことはあるけれど、できれば、素から離れていない牛の乳を普通に飲んでみたい。琥珀の伴だけでは、なにか悲しい。